クレディ・スイスの新CEOブレディ・ドゥーガン
■ クレディ・スイスが「オズワルド・グリューベルCEOが5月に退任する」と発表し、後任には5月5日付でブレディ・ドゥーガンが就任することになった。ドゥーガンは投資銀行部門の責任者を務めてきた人物で、クレディ・スイスの投資銀行部門でドゥーガンの前任者だったのはモルガン・スタンレーの現CEOジョン・マックだ。マックがクレディ・スイスを去ったのは04年6月24日で、マックはその約1年後にモルスタのCEOに返り咲いた。ドゥーガンが投資銀行部門の責任者に抜擢されたのがマック退職直後の04年半ばだった。
クレディ・スイスの次期CEOブレディ・ドゥーガンは、日本にいたとき日本女性と結婚し、離婚するまでの15年間の結婚生活で2人の子どもをもうけたというから、日本のことにはかなり詳しいはず。日本語を話すCEOが引っぱっていくことになる今後のクレディ・スイスにも注目していこうと思う。
以下に記事を1件。
クレディSのドゥーガン氏:日本女性と結婚歴、日本語話す知日派
2007年2月21日(水)11時32分2月21日(ブルームバーグ):クレディ・スイス・グループの最高経営責任者(CEO)になるブレイディ・ドゥーガン氏は、あまり米国人らしくない米国人だ。そんな点が幸いして、他の米国人幹部が逃したスイスの銀行のトップの座を射止めることになった。
クレディ・スイスは先週、米国人である同氏をグループ全体の単独CEOに指名した。米国人の単独トップは同社で初めて。クレディ・スイスに移籍して 17年の同氏の昇進は、151年の歴史を持つスイスの銀行では、金融市場での成果や経営手腕に加え、文化的な多様性が物を言うことを示した。
ニューヨーク大学の金融学教授で元ゴールドマン・サックス・グループの元パートナー、ロイ・スミス氏は「スイス人が攻撃的で押しの強い米国人に我慢できるのには限界がある」として、ドゥーガン氏は自分が「そういうタイプの米国人ではないことを、スイス人幹部らに納得させたのだろう」と述べた。
他のウォール街のスターたちは、ドゥーガン氏ほどの信頼を勝ち得られなかった。投資銀行部門の責任者を務めたデリバティブ(金融派生商品)の先駆者アレン・ホイート氏は高報酬のバンカーを集めてコストを膨らませた末、規制当局の調査のなかで更迭された。モルガン・スタンレー出身のジョン・マック氏は共同CEOにまで上り詰めたものの、同業他社との合併を主張し、契約終了とともに同社を去った。
クレディ・スイスのウォルター・キーホルツ会長はドゥーガン氏抜擢(ばってき)の理由は「銀行家としての経験」、「指導力」、「合意を形成する力」、「チームプレーヤーであること」の4つだと述べた。
インディアナ州生まれのドゥーガン氏はシカゴ大学を卒業後、米バンカーズ・トラストに入社した。投資銀行部門からデリバティブ部門に移り、誕生したばかりだったデリバティブに携わった。その後、ロンドンを経て東京に移り、債券引き受け部門をゼロから立ち上げた。
同氏は東京でも、新しい文化に適応する高い能力を発揮し、1年足らずで日本語をマスターした上に、日本人女性と結婚した。現在は離婚しているが、 15年間の結婚生活で2児をもうけた。クレディ・スイスの日本の投資銀行部門責任者だった房広治氏は、ドゥーガン氏にとって日本は第2の故郷のようなものだと話している。
ドゥーガン氏は日本でホイート氏と出会う。両氏は時々、一緒に皇居の周りをジョギングしたという。この出会いの結果、ドゥーガン氏はクレディ・スイスの投資銀行部門クレディ・スイス・ファースト・ボストン(CSFB、当時)に移籍したホイート氏とともに、そのチームの一員として同社に加わった。
クレディ・スイスでさまざまなポストを経て順調に出世を重ねるなかでも、同氏は堅実さを失わなかった。28歳のトレーダーがフェラーリを買う業界で、同氏は1994年型のBMWに乗っている。クレディ・スイスに在籍22年でインディアナ州出身のフィリップ・ライアン氏は「中西部生まれの人間は現実主義で堅実で、あまり自己顕示欲のない人が多い。これがスイス人には受けがいい」と語った。
http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=21bloomberg34aMtzbfTOqxKg
Credit Suisse Names New C.E.O.(New York Times)
New Credit Suisse CEO Sparkles On Results Day(Forbes)