ティモシー・コリンズが新生銀行の取締役を辞任
■ リップルウッドのティモシー・コリンズが新生銀行の社外取締役を本日付で辞任したそうだ。新生銀の現社長はモルガン・スタンレーの役員でモルガン・スタンレー・ジャパンの社長だったティエリー・ポルテだし、シニア・アドバイザーとしてジョン・リードとポール・ヴォルカーの名前がまだあるし、クリストファー・フラワーズもエミリオ・ボティンもまだ取締役である。
新生銀行の前身である日本長期信用銀行は1998年10月に破綻し、政府が一時国有化(特別公的管理)、債務の約9割のカットをしたうえでリップルウッド・ホールディングスへ売却された。日本政府が18ヶ月間の特別公的管理期間中に投じた公費は約8兆円だったが、リップルウッドが要した費用は自己資本10億円と投資家から集めた1200億円のわずか1210億円だった。旧長銀が破綻してから約5年4ヶ月後の04年2月19日に新生銀行は東京証券取引所に上場し、リップルウッド傘下のニュー・LTCB・パートナーズ(オランダ)は保有株35%を売り出して2500億円もの資金を得た。さらに05年1月20日に大規模な株式売却(発行済み株式数の約34.1%)が発表され、その量をその日の終値で計算すると約2900億円にもなると各紙が報じた。つまりこの2度の株式売却で約70%を放出したリップルウッド側は、約5400億円という巨額を手にし、旧長銀に投じた資金1210億円に対して4倍以上の果実を収獲したのである。しかも日本とオランダが結んだ条約により、オランダに設立した投資ファンドには課税できなかったというオチまである。
リップルウッドを率いてきたのが、ラザードの元バンカーであるティモシー・コリンズやゴールドマン・サックスに在籍したクリストファー・フラワーズであった。クリストファー・フラワーズは5カ月前に発表された米国内の長者番付で、資産12億ドルと推計され322位にランクされている。06年に「世界で最も尊敬されるCEO」に選出されたリーマン・ブラザーズのリチャード・フルドですら374位であった。
リップルウッドの日本進出の水先案内人を務めたのが三菱商事だといわれており、三菱商事会長の槙原稔(現相談役)は新生銀行の社外取締役に就任し、現在もまだ社外取締役をつとめている。
長銀破綻・売却のアドバイザー契約を「日本側」と結んでいながら「瑕疵担保特約」を認めたのがゴールドマン・サックス。買い手側として交渉に臨み、現在も新生銀行の社外取締役を務めているクリストファー・フラワーズは平成10年までゴールドマン・サックスにいた人物だった。ゴールドマン・サックスが買収先として推薦したのがリップルウッド・ホールディングスであり、そのゴールドマンをアドバイザーに推してきたのがゴールドマンの会長から財務長官に転身したロバート・ルービンだといわれてる。
旧長銀がリップルウッドに売却されると、そこに役員として乗り込んできたのが、デヴィッド・ロックフェラー、FRBの元議長ポール・ヴォルカー、ラザード・フレールのヴァーノン・ジョーダン、シティグループ元会長ジョン・リード、メロン銀行会長マーティン・マックギン、サンタンデールのエミリオ・ボティン‥‥といった金融界の面々であった。
リップルウッドのCEOティモシー・コリンズ、そのコリンズの後見人ヴァーノン・ジョーダン、FRB元議長ポール・ヴォルカー、そしてロックフェラー家の総帥デヴィッド・ロックフェラーといった彼らに共通するのが「ビルダーバーグ会議」であることや、ビルダーバーグの本拠地が、リップルウッド傘下のニュー・LTCB・パートナーズが籍を置くオランダにあることなどから、「リップルウッドとティモシー・コリンズはビルダーバーグの実働部隊として長銀買収に乗り出してきた」と解釈できるという話まである。
コリンズは03年から06年まで連続、ヴォルカーは97年、ジョーダンとロックフェラーにいたっては91年以降の名簿を見るかぎり昨年の06年まで毎年毎回ビルダーバーグ会議に出席しているのだから、上記のような話が出てくるそれなりの理由があったわけで、コリンズを投資会社の世界に連れ込んだフェリックス・ロハティンもラザード・フレール出身だが、ロハティンはクリントン政権で97年に死亡したフランス大使パメラ・ディグビーの後任として駐仏米国大使に任命された人物で、ロハティンはその後、英ロスチャイルド銀行(N.M.ロスチャイルド・アンド・サンズ)に在籍し、06年8月にはそのロスチャイルド銀行を退社しリーマン・ブラザーズの首席顧問に就任するなど、興味深い動きをみせる“ロスチャイルドの代理人”である。
コリンズのキリスト教人脈
ジョーダンは、フェリックス・ロハティンが率いる、ラザール・フレール商会の社外取締役でもある。ロハティンは、オーストリア出身のユダヤ商人だったが、1960年代には『ワシントン・ポスト』に資本注入して同紙を破綻の危機から救い、1970年代には財政破綻を来たしていたニューヨーク市を救った。以後ロハティンは、メディアの世界で大きな影響力をもつようになった。ちなみに彼はヘンリー・キッシンジャーとはとくに親しい間柄でもある。ロハティンはクリントン政権時代に、フランス駐在大使の地位を金で買ったといわれている。1997〜2000年の駐フランス・米国大使の任務中、フィアット、ヘネシー、ルイ・ヴィトンなどの社外取締役という地位を築いた。そして彼は、ロスチャイルド一族の資産運用を任されている代理人でもある。リップルウッドのコリンズは、ロハティンのラザール・フレール商会で1984年から1990年まで訓練を受けた。コリンズは、ロハティンと出会い、そして薫陶を受けたことを“神に感謝すべきもの”だったと語っている。(『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』のP.56ページより)
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ティモシー・コリンズが新生銀行の社外取締役を辞任し、リップルウッドが出資をすべて引き上げたからといっても、新生銀行の役員名簿を見るかぎり、同行が“外資”であることに変わりないと思っている。
以下に記事を。
コリンズ氏が新生銀の取締役を辞任、28日付−買収主体ファンド解散で
2007年2月28日(水)18時48分2月28日(ブルームバーグ):新生銀行は28日、米投資会社リップルウッド・ホールディングスの最高経営責任者であるティモシー・コリンズ氏が同行の社外取締役を同日付で辞任したと発表した。リップルは傘下のファンドを通じて新生銀を買収したが、そのファンドが同行への出資をすべて引き上げ、 2006年12月に解散したため、取締役派遣もやめることにした。
新生銀は1998年10月に破たんして一時国有化された日本長期信用銀行が前身。大手投資銀行ラザードの元バンカーであったコリンズ氏などが率いるリップル傘下の投資組合ニュー・LTCB・パートナーズが普通株式の100%を買い取り2000年春に再民営化、04年に東京証券取引所に再上場した。
新生銀のティエリー・ポルテ社長はリリースで「当行発足当初よりコリンズ氏のリーダーシップ、情熱ならびにビジョンに支えられてきた。当行変革の立役者でありその功績に改めて謝意を表する」とコメントしている。ニュー・LTCBは05年2月に総議決権に対する出資比率を約64%から2.6%に引き下げ、昨年12月までに全ての出資金を投資家に分配して解散した。
http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=28bloomberg31azHIxrD3NU30
リップルウッド2度目の濡れ手、新生銀株売却へ
2900億円の売却益、98年に買い取り10億円が大バケ新生銀行(旧長銀)の大株主、米投資会社リップルウッド・ホールディングスを中心とする投資家グループが、保有する同行株の約半数を2月下旬に市場で売却する。経営破綻(はたん)した旧長銀をわずか10億円で買い取ったリップルウッドが手にする売却益は約2900億円。昨年2月の同行株上場に続いて、「濡れ手に粟」で巨額の利益をゲットすることになる。
投資家グループは昨年9月末時点で、投資組合「ニュー・LTCB・パートナーズ」を通じ、新生銀の発行済み株式のうち約65%を保有。その約半数を2月下旬に売却するという。
投資家グループは、すでに同行が昨年2月に再上場したとき、約2200億円の売却益を得ているが、さらに2900億円超の利益を得ることになる(20日の終値627円で計算)。
発行済み株式の約34−37%が売却される計算になるため、投資家グループの持ち分は3割程度に下がる見込み。同行を実質的に支配してきたその影響力は大幅に薄まることになる。
破綻企業を安く買い叩いて再上場させ、売却益を得る−。利益を貪欲(どんよく)に追求する外資系ファンドの真骨頂ではあるが、平成11年9月の旧長銀破綻から、リップルウッドに譲渡されるまでに投入された「血税」(公的資金)は約8兆円にも上る。
「リップルウッドはそれをたった10億円を買い取っている。悪評が高かった瑕疵(かし)担保条項を最大限利用し、価値が大きく目減りした貸出債権を簿価で国に買い取らせた。リップルウッド自体も約1200億円を追加投資してはいますが、それでも総投資額は1210億円。『濡れ手に粟』なのは言うまでもない」(アナリスト)
破綻からわずか4年半というスピードで再上場させたその手法に一部で評価の声はあるが、「心情としてしっくりこないのが普通」(民間信用調査機関幹部)。
今後、リップルウッドは売却して得た資金をどこに向けるのか。
「破綻ビジネスの専門家であるだけに同様のケースをこれからも狙っていくでしょう」(先のアナリスト)
ZAKZAK 2005/01/21
「長銀買収」リップルウッドが表した馬脚 菊池雅志
(週刊文春 2006/10/05号)8兆円もの公的資金が投入された長銀を10億円で買収し、新生銀行の上場で2000億円以上の利益を得たリップルウッド。だが、宮崎県のシーガイアなど、その後の投資は成功しているとは言いがたい。“元祖ハゲタカ”として恐れられてきたリップルに何が起きたのか。
「リップルは、もう過去のファンドだよ・・・」いま、外資系投資ファンドの幹部からはこんな言葉すら漏れてくる。
わずか5年前、まだ40歳を過ぎたばかりのアメリカ人バンカー、ティモシー・コリンズが率いる投資ファンド「リップルウッド」は、日本長期信用銀行(現新生銀行)に続き、シーガイア、日本コロムビアなど、経営危機に陥った日本企業を次々と買収した。
しかし、製紙会社の敵対的買収など、日本企業同士のM&Aが当たり前になったいま、リップルの名がメディアに取り上げられることは滅多になくなった。かつて、“外資”の代名詞としてB本企業から恐れられていたリップルに、一体何が起こったのか。平7年、コリンズはニューヨークで「リップルウッド・ホールディングス・LLC」を設立したが、その頃から明確に日本進出を目論んでいた。
「コリンズは、イェール大学時代の友人の父親を通じて、三菱商事の横原稔社長(当時)と知り合い、平成8年には三菱商事からの出資と人材を受け入れました。それから何度も来日して、外資系のコンサルタント会社の紹介などで、日本の上場企業に挨拶回りをしていったのです」(外資系投資ファンド幹部)
コリンズが挨拶に訪れた会社の一つに東芝があった。現在、ケンウッドの社長を務める河原春郎は、当時、東芝で関連会社を統括する取締役としてコリンズとの会合に出席した。河原本人が当時を振り返る。
「ちょうど、(コリンズが)日本に事務所を立ち上げる2年前だったと思います。当時は投資ファンドというビジネス自体を知らなかったので、非常に新鮮でした。思えば、企業再生を手掛ける外資系のファンドで、最も早く動き出したのがリップルでした。その後、コリンズから誘われ、日本オフィスの立ち上げに参加したのです」
日本人幹部が相次いで退社
当時、リップルは日本国内はもとより、米国でも無名だった。米国で巨大ファンドといえば、LBO(レバレッジド・バイアウト)などの投資手法を作り出した「コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)」や、ブッシュ大統領ファミリーを顧問にして軍事産業を牛耳る「カーライル・グループ」などである。
「コリンズは自動車部品メーカー出身で、米国では自動車関連の投資を細々と手掛けていた。日本でも自動車関連メーカーの投資に焦点を当てていた。ところが、長銀買収を狙うクリストファー・フラワーズと知り合い、“相乗り”させてもらったのです」(外資系投資銀行幹部)
平成11年、元ゴールドマン・サックスのパートナー(共同経営者)のフラワーズが「ニュー・LTCB・パートナーズ」という長銀買収専用のファンドを組成した。一方、リップルのコリンズは、三菱商事の愼原や八城政基(元シティバンク在日代表)など、ファンドの“表の顔”となる日本人経営者を口説き落す役割だった。
「長銀買収は、フラワーズのディールだった」外資系金融機関の首脳たちは明言するが、当時の日本のメディアや財界関係者は勘違いしていた。
「長銀買収をリップルが主導したように報じ、暇疵担保問題の責任まで押し付けて“ハゲタカ”扱いした。この批判で、リップルがウォールストリートの中枢に太いパイプを持つ巨大ファンドのように思われ、実力以上に評価されてしまった」(外資系ファンド幹部)このときリップルは、三菱商事の協力で、長銀買収とは全く別の「RHJインダストリアルパートナーズファンド」という日本企業への投資を目的としたファンドへの出資も募集した。そして、新人プレーヤーのコリンズに、日本企業を中心とした投資家が1200億円もの巨費を投じたのだ。
「この過大評価が、間違いの始まりだった」(リップル関係者)長銀買収から1年半後の平成13年、リップルは大規模な買収劇を次々と手がけた。リップルが買収したのは、自動車部品メーカーの「ナイルス部品」、音響機器と音楽製作の上場企業「日本コロムビア」、そして宮崎県の大規模リゾート施設「フェニックス・シーガイア・リゾート」だ。
ところが、その派手な買収攻勢の裏で、なぜかリップルの日本人幹部が相次いで会社を後にしていた。三菱商事からリップルへ転籍し、ベンチャー企業投資を主導した安渕聖司は平成13年に退社、その後USB証券に移った安渕は、次々と巨額案件を手掛け、いまではGEコマーシャル・ファイナンス・アジアの副社長になっている。
「三菱商事や東京海上火災出身者の混成部隊で構成されたリップルの中で、安渕さんはディールソーシング(案件の発掘)が出来る数少ないバンカーでした。ところがコリンズは、週に何度も来日して自らディールを作り上げようとしていたので、安渕さんの退社を深刻に受け止めなかったんです」(リップル元社員)平成14年には、リップルに在籍していた前出の河原も退社した。河原は、東芝時代の人脈を生かして日立と交渉し、日本コロムビア買収に成功してから、1年足らずでリップルを後にしたことになる。
「河原さんは、案件を右から左に流すバンカーではなく、経営者です。買収した以上、コロムビアの再建も手掛けたかったのでしょう。ところがコリンズは日本コロムビアに米国人トップを据えた」(リップル関係者)
さらに翌年、今度はシーガイア買収を担当した中村彰利がリップルを去り、産業再生機構の常務取締役となる。中村は、シティバンク時代の八城の部下で、リップルでは投資銀行を経験している唯一の日本人バンカーだった。リップルの傘下に入ったシーガイアは、大規模な人員削減をしても、いつまでも赤字を垂れ流し続けていた。実は、その元凶は、リップルが送り込んだ経営陣にあった。シーガイアの元社員が証言する。
「施設の運営を任されたスターウッドグループ(アメリカのホテルチェーン)から外国人幹部が約30人来日し、同時に同じ数の秘書兼通訳を雇いました。この通訳が日本人トップより高い給料をもらっていた。厳しいリストラに耐えながら頑張っていた有能な日本人社具が、呆れ果てて次々と会社を去ってしまった」
河原と中村の2人が去った遠因に、「安易な外国人トップの起用」があることは間違いないだろう。
1200億円の資金を消化できず
「コリンズの手法は一言で言えば、"植民地的"なのです。コリンズは、自分が理解できる自動車部品会社には日本人をトップに置きましたが、他の業種では外国人しか信用しなかった。日本人社員には、投資が成功した際のインセンティブについても明確な契約がなく、報酬はコリンズの胸先三寸で決まっていた。日本人はバンカーと見なされず、"通訳兼使用人"のように扱われていたのです」(リップル元社員)
リップルはもう一つ重大な失敗をしていた。それは、「ハゲタカ批判」を積極的に払拭しなかったことだ。「「群馬県の自動車金型世界最大手ノオギハラの買収に失敗し、ダイエーの福岡三事業もコロニー・キャピタルに奪われた。
この2つのディールは、リップルの提案のほうが相手企業に有利だったにもかかわらず、“ハゲタカ”のイメージが強すぎて、地元の財界から拒絶反応が起きたようです」(外資系ファンド幹部)資本と人材を投入し、経営再建していたリップルがハゲタカファンドでないことは明白だが、コリンズ自身も、小誌の取材にこう答えている。
「いわゆるハゲタカ批判も、当初、当社の哲学、企業再生にかける熱意、資金及びノウハウなどについて説明が足りなかったのも一因と考えています」
平成16年に新生銀行が再上場し、「ハゲタカ批判」が再燃していた頃、2社の外資系投資ファンドによる対照的な買収劇が起きた。5月、リップルは前年に買収していた「日本テレコム」をわずか半年でソフトバンクに転売し、約800億円もの売却益を手にした。
「リップルが標榜する『インダストりアル・パートナー(産業顧問)』による企業再生とはかけ離れた利ザヤ稼ぎで、"転売屋"と見下されても仕方がないディールだった」(外資系投資ファンド幹部)リップルがマーケットで評価を落した1ヵ月後、同じ米系ファンドのカーライルは、京セラとともに「DDIポケット」を買収し、日本AT&T元社長の八剣洋一郎をスカウトして社長にした。この会社が「ウィルコム」と名前を変え、当時“終わった通信規格”と言われていたPHS事業を通話料定額制で蘇らせた。ウィルコムはいまや上場の準備段階に入っている。
「リップルは日本人を上手に使いこなせなかった。最初に組成した1200億円の投資資金も消化できず、当初の投資期間の3年を5年に延長し、ファンドクローズまでの期限も10年から12年に延ばした」(外資系投資ファンド幹部)ところが、それでも出口を見出せなかった。
昨年3月、リップルは既存のファンドを「RHJインターナショナル」に再編して、ベルギーの証券市場に株式公開した。コリンズはこう説明する。
「上場企業になったことで、経営の透明性を高めるとともに、日本の状況にマッチした形で中長期的な再生事業に取り組むことが可能になりました」
しかし、この上場を「リップルの日本向け投資が失敗した証拠ではないか」と見るバンカーは多い。
新生銀行外国人トップの評判
「私募のプライベートエクイティ(未公開株)ファンドが上場すること自体が異例です。株式を公開すれば、ファンドのキャピタルゲインやマネジメントフィー(運用手数料)の一部を株主に分配することになる。投資が順調なら株式市場から資金調達をする必要はない。おそらく、このままファンドの期限を迎えると損失が確定するので、"永久に返さなくていい金"を調達することで、出資者を納得させたのでしょう」(外資系投資ファンド幹部)
1200億円を運用するリップルが受け取るマネジメントフィーは、年間約18億円と言われている。なぜ、この金で有能な日本人バンカーを雇わなかったのか。優秀なバンカーがいないファンドがディールを奪えないのは当然なのだが……。
そして、リップルの最大の成功ディールだったはずの新生銀行も迷走を始めている。その原因は、リップルと同じ「安易な外国人トップの起用」にあるようだ。
昨年6月、新生銀行再建の立役者で社内からも人望のあった八城社長が退任し、モルガン・スタンレー・ジャパンの社長だったティエリー・ポルテが社長に就任した。だが、このポルテの評判がよくない。モルスタ時代の部下が言う。
「ポルテは奥さんが日本人で、日本語が理解できるはずなのに、絶対に日本語で話さない。日本語だと議論で不利になるからでしょう。彼が得意だったのは、社内政治と経費の節減でした」
ポルテは、ゴールドマン・サックスのヴァイスプレジデントだった桂木明夫(現リーマン・プラザーズ在日代表)を、億単位の支度金を用意してモルスタの投資銀行部門のトップにスカウトした。
「桂木さんの招聘は、いわばトヨタの課長をスカウトして日産の役員にしたような人事。桂木さんは、父親が元代議士で、東大法学部卒で興銀出身と、肩書きは立派ですが、バンカーとしての実績は皆無に等しい。
ポルテに反旗を翻す形で、モルスタの投資銀行部門では数名の有力バンカーが退社したほどです。その後、モルスタで不動産投資が会社の収益を支えるようになると、不動産ビジネスに批判的だったポルテは、社内で立場が弱くなっていった」(同前)
このポルテを新生銀行に迎え入れたのが、リップルの陰で長銀買収を仕切ったフラワーズだと言われている。フラワーズは新生銀行の大株主であり、社外取締役でもある。ハーバード大で同窓生だったポルテを八城の後釜に据えたのだ。ポルテが社長に就任すると、現場へ“無茶な注文”が出されることになる。
「IB部門(インスティチューショナル・バンク)の収益を3年で7割増やせと言うのです。具体的な戦略がないので、“やれることは何でもやれ。株価を上げろ”という指令だと受け止めています。ポルテは会議でも『我々は恐れすぎていた。ある上場会社を訪問したら、私を暖かく迎えてくれました』と嬉々として語る。銀行のトップを邪険にする会社はありません。でも、それがビジネスに結びつくかどうかは別問題なのですが」(新生銀行幹部)
求心力がないポルテの背後で、事実上新生銀行を牛耳っているのがフラワーズだ。フラワーズと新生銀行の幹部とは、今春、切っても切れない関係になった。
「一部の幹部行員だけが選ばれ、フラワーズ率いる『JCフラワーズ』がヨーロッパの銀行に投資するファンドに、出資しないかと誘われたのです。一口10万ドルを下限に、ケイマンに組成した“子ファンド”を通じてフラワーズのファンドに出資する形でした」(同前)八城が去った後、新生銀行はフラワーズの「機関銀行」と化したのだろうか。昨年2月、シーガイアのトップに、長野県商工部産業活性化・雇用創出推進局長の丸山康幸が就任し、真っ先に30人の外国人幹部を退社させた。
しかし、シーガイアで無駄な時間と金を浪費した結果、日本における「外資系投資ファンド」の主役は、リップルではなく、カーライルになってしまった。ウィルコムを優良企業に再生したカーライルは、今年7月、2156億円の二号ファンドを組成した。
一方のリップルが、株式公開で得た資金で有能な日本人バンカーを採用したという話は聞かない。コリンズに、「ビジネスで成功するだけでなく、日本人に尊敬されたいか」と聞いたが、答えは返ってこなかった。
現時点で、リップルの日本向け投資先でイクジット(売却)が完了したのは、フラワーズに相乗りした新生銀行と、半年で手放した日本テレコムだけだ。コリンズはいま、日本企業に落下傘のように外人トップを送り込むことは止め、投資先企業には日本人CEOが就任するようになった。
しかし、丸山がトップに立ったシーガイアの再建も、いまだ遠い道のりだ。「今、丸山さんが手掛けているのは、5年前からやっておくべきだった『従業員の教育』です。再建にはまだ5年は必要でしょう。それまで、コリンズが我慢できればいいのですが」(シーガイア元社員)
シーガイア再建が暗礁に乗り上げれば、リップルの経営はおろか宮崎県の経済をも大きく揺るがすことになる。コリンズが、日本人の能力を最大限に生かすことを覚えない限り、リップルと投資先企業の「凋落」を抑えることは出来ないだろう――。
(文中一部敬称略。完)
「外資凋落」第3回 リップルウッド
http://blogs.yahoo.co.jp/thetreasureship/2114465.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thetreasureship/2115089.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thetreasureship/2179795.html
米リーマン:元ラザードのロハティン氏を相談役に−M&Aのベテラン
2006年8月22日(火)22時29分8月22日(ブルームバーグ):米証券大手のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスは、米投資銀行ラザード・フレールで半世紀近くにわたり、ウォール街の企業合併に携わってきたフェリックス・ロハティン氏(78)を、同社の相談役に起用した。ロハティン氏は1997年から2000年にかけ、クリントン前政権の下で駐仏米国大使を務めた。
リーマン・ブラザーズの広報担当によると、ロハティン氏は同社の国際諮問委員会委員長も務める。ロハティン氏は2週間前に英投資銀行N.M.ロスチャイルド・アンド・サンズを退社。ロスチャイルドでは、デービット・ド・ロスチャイルド会長に事業戦略について助言を提供していた。
リーマン・ブラザーズのリチャード・フルド最高経営責任者(CEO)は過去5年間、債券トレーディング以外でも業務拡張を図るため、人材の採用に努めてきた。リーマン・ブラザーズのM&A(買収・合併)の助言や引き受け業務による収入は、2003年のほぼ2倍に膨らみ、2005年には28億9000万ドルに達した。
リーマン・ブラザーズとロハティン氏が経営するコンサルタント会社は今年、米電話大手AT&Tのエドワード・ウィティカーCEOに、米地域電話ベルサウスの買収について助言を提供した。
フルドCEOは文書を通じ、「ロハティン氏は金融界では非常に知られたリーダーだ。同氏が持つ企業トップや政府高官らとの人脈は、同氏がこれまで独自でかつ賢明な助言を民間、公共部門を問わずに提供してきた献身的な姿勢を反映したものだ」と語った。
http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=22bloomberg34aEvKq37h4Z_E
■ ブッシュ大統領がアダムズ財務次官の後任にチェースのティモシー・ライアン副会長を指名したとのこと。
米財務次官:米銀大手JPモルガンのライアン副会長を指名
【ワシントン木村旬】ブッシュ米大統領は27日、辞意を表明しているティモシー・アダムズ米財務次官(国際金融担当)の後任に、米銀大手JPモルガン・チェースのティモシー・ライアン副会長を指名した。上院の承認を経て就任する。
ライアン氏は財務省幹部を経て、JPモルガン入り。日米の政府・経済界首脳らで構成する「日米官民会議」に米側代表として参加するなど、日本との関係も深い。同次官は、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)などを担当する。
毎日新聞 2007年2月28日 18時28分
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kaigai/news/20070301k0000m020020000c.html
■ 山口組二代目美尾組が「清水一家」を継承しその襲名披露を行なったらしい。「五」と「菱」を使って五菱会と命名したのは山口組五代目渡辺組長といわれている。
事件の全容解明へ捜査ヤマ場(神戸新聞)
(前略)
五菱会の名は、山口組五代目渡辺芳則組長の「五」と、代紋の「山菱」から名前を取って付けられた。高木康夫組長は傘下組から初代組長に抜てきされたが、その背景には、ヤミ金融による巨額の上納金があると合同捜査本部はみていた。
(後略)
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/031024ke130970.html
暴力団:「6代目清水一家」を継承…ネーミングで拡大狙う
指定暴力団山口組の2次団体で静岡市清水区を本拠とする「2代目美尾組」が28日「6代目清水一家」を継承した。県警は、仁義に厚く庶民に慕われた清水次郎長(1820〜1893)のネーミング効果で組員拡大を狙ったものとみている。次郎長を観光の目玉にしている地元観光業者の間で波紋が広がっている。
五菱会は03年にヤミ金融事件で会長が逮捕された後、美尾組に改称した。県警によると、継承は66年解散の5代目清水一家の元組長=同区在住=が正式に認め、同日午前0時から暴力団関係者を集めた継承式もあった。
一方、22日、同市暴力追放推進協議会が継承阻止を求める要望書を県警清水署に提出し、県警は警戒を強めている。驚き困惑しているのは「清水一家せんべい」などの商品を販売したり「次郎長道中」などの行事を運営する地元業者らだ。
同市観光協会は、次郎長の生家や晩年を過ごした船宿で関連商品を販売中だが、「清水一家」の名がつくキーホルダー、のれんなどの商品を引き揚げた。観光業者は「昨年はドラマも放映され人気が出てきたばかりなのに」と肩を落とす。
仮装行列「次郎長道中」を続ける清水みなと祭り実行委も抜刀のポーズや「切った張った」の口上を控えるなどの対応を検討し「今年は祭りの60周年だが、変に注目されるのは困る」と話す。「清水一家」を冠した弁当を販売する弁当チェーンも「県外の客からも人気がありイベントなどでは一番人気。今後の売れ行きが心配」と話している。【山田毅、田口雅士】
毎日新聞 2007年2月28日 20時39分 (最終更新時間 2月28日 20時53分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070301k0000m040088000c.html
暴力団から「次郎長」守れ 「清水一家」継承に阻止要請
2007年02月23日00時59分清水次郎長の名は使わせない――。静岡市清水区に本部を置く指定暴力団山口組2代目美尾組(旧五菱会)が、清水次郎長の系譜を継ぐ「清水一家」を名乗ろうとしているとの情報を受け、静岡市暴力追放推進協議会(会長・小嶋善吉市長)が22日、使用阻止の要請書を清水署に提出した。
同署によると、清水一家は5代目の66年に解散したが、伝統ある名は暴力団にとって「ネームバリュー」があるという。
同協議会は「次郎長の晩年の社会貢献をたたえ『清水の次郎長さん』として親しんでいる市民は強い憤りと不安でいっぱい」として、観光や次郎長の名を冠する各種イベント、市民生活への悪影響などを懸念している。
同署は今月に入り、美尾組が清水一家を継承するとの情報を入手。近く組関係者に話を聞き、事実関係を確認する方針だ。ただ、名前を継承することを取り締まる法律はない。堀内美秋署長は「市民総意の要請と受け取り、ご希望に沿えるよう全力で努力します」と話した。
県警によると、美尾組は後藤組と並ぶ県内2大勢力のひとつで、武闘派とされる。以前は五菱会と名乗り、ヤミ金融などの経済活動で台頭してきた。
http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY200702220354.html