ニック・リーソン


ニック・リーソンのことが記事になってた。リーソンの「獄中手記」は面白かったという記憶がある。なんせ“女王陛下の銀行”が破綻したその前後の様子をリーソン本人が語っているのだから、当事者の心理が描かれた「ノンフィクション」としてつまらないはずがない。映画にもなってたしね。『ベアリングズ崩壊の真実』も面白い。最終的にベアリングズを6億6千万ポンドで一括買収(1ポンドで買収し、6億6千万ポンドを資金投入)したのはオランダのINGグループ


次の写真は、左が95年11月にシンガポールに連行されたときのリーソン。右はリーソンのホームページにある最近のもので、少し似てるけどポールソンじゃない。


  


「欧州には6つの偉大な勢力がある。英国、フランス、プロシアオーストリア、ロシア、そしてベアリング・ブラザーズだ」…こういったのはルイ18世下のフランス首相だったかな。


フランシス・ベアリングが兄弟とともにベアリング商会を設立したのは1763年で、1995年にベアリングズ銀行が崩壊する230年以上も前のことであった。1777年に生まれたネイサン・ロスチャイルドがシティで頭角を現わすまではベアリング・ブラザーズがシティの支配者たる金融業者だったのだ。ベアリング商会はロンドンのシティに設立された世界初のマーチャント・バンクであり、顧客に融資と助言を提供する一方で、自らも商人として口座を利用しリスクを引受ながら、株や土地やコーヒーの売買を行なおうとするものだった。


系図フランシス・ベアリング(ベアリング商会創業者、東インド会社会長) ⇒ ヘンリー・ベアリング ⇒ エドワード・ベアリング ⇒ ヒューゴ・ベアリング ⇒ フランシス・ベアリング ⇒ ピーター・ベアリング(ベアリングズ銀行倒産時の会長)。


エドワードの兄が初代クローマー卿ことイヴリン・ベアリング。イヴリンの孫ジョージ・ベアリングは史上最年少(43歳〜)のイングランド銀行総裁。ジョージが結婚したのは「Rothermere子爵」のタイトルをもつデイリー・メールの会長ハームズワースの孫で、ここから生まれたのが現代クローマー伯爵ことイヴリン・ローランド・ベアリング(1946年生)。
ベアリング家はクローマー伯爵の他にも、ノースブルック男爵、レヴァルストーク男爵、アシュバートン男爵、ハウィック・オブ・グレンデール男爵、ベアリング准男爵という、イギリス貴族のタイトルを6つも保有する大家族だから、現在活躍しているベアリングさんが何人もいる。たとえば、ベアリングズ銀行が95年に破綻した当時にベアリングズ会長だったピーター・ベアリングはレヴァルストーク男爵家だし、BPの前会長ジョン・ベアリングはアシュバートン男爵家、保守党の政治家フランシス・トーマス・ベアリング(1954年生)はノースブルック男爵家といった顔ぶれだ。


「初代」フランシス・ベアリングの父はドイツからの移民。ロスチャイルド家もドイツから始まった。「ジキル島会議」のポール・ウォーバーグ、ゴールドマン・サックスのゴールドマン家とサックス家、クーン・ローブ商会のクーン家とローブ家およびジェイコブ・シフらもドイツからの移民である。この一族(ここにモルガンらを加えた)の“連合体”がFRBを創設したという事実は重要。


ベアリング商会は1806年に社名をベアリング・ブラザーズと変更したあと、当時のナポレオン戦争に際しフランス政府に7億フランの貸付や海上保険の引受を行なうなど、積極的に海外金融ビジネスに乗り出し成功を収めてきた。この成功と拡大が、5カ国に次ぐ第6の勢力と称されるほどのものであった。ベアリングのビジネスは欧州以外にも、アメリカ合衆国がフランスからルイジアナを買い取る際の資金を融資したり、カナダの鉄道資金への融資など、新大陸でも積極的に行なわれた。つまり国家に融資をする金融アドバイザーである巨大銀行の雄がベアリング・ブラザーズであった。

19世紀が終わるころにはベアリングズは「王室の銀行」となり、業績にたいする報奨としてそれぞれ6つの爵位を授けられ、成年になれば上院に列する権利を有する貴族であった。ベアリングズは最終的にベアリング財団に管理され、巨額のカネが「慈善事業」に回されていたという。


「女王陛下の銀行」ベアリングズは95年、“88888”のニック・リーソンによる巨額損失のせいで倒産してしまった。リーソンの抱えていた日経先物のポジションは95年1月17日に起こった阪神大震災の影響もあって膨大な損が表出しようとしており、リーソンはボーナスが支給される前日に逃亡した。リーソンは逃亡するまでの数日間、狂ったように日経平均先物を買っていた。出口の見えない倍々ゲームに嵌まり込んでいたのである。

95年2月23日、リーソンはシンガポールから逃げるためクアラルンプールへ飛び、翌2月24日リージェント・ホテルからベアリングズに辞表をファックスし、コタキナバルへと飛んだ。そして27日の月曜日、ホテルの売店のレジを通りすぎる男が持っていた新聞がリーソンの目にとまった。

「イギリスのマーチャント・バンク倒産」

それはフランシス・ベアリングが設立してから230年以上の歴史を誇る「女王陛下の銀行」ベアリングズ銀行が破産したことを報じる記事だった。

水曜日、リーソンは、ベルネイ、バンコクアブダビ経由でフランクフルトへ飛ぶ便に乗り、土曜日に到着したフランクフルトの空港でマスコミのフラッシュを浴びながら連行された。

その後、リーソンはシンガポール側係官に引き渡され、95年11月にシンガポールに戻った。12月2日、リーソンは6年半の刑を宣告され、シンガポールのタナ・メラ刑務所に服役。


95年2月24日(金)
──ピーター・ベアリング会長、自社の窮地を知る。
──休暇でフランスに到着したイングランド銀行のジョージ総裁「ベアリングが危ない」との報告に急遽帰国。
──英国の主要金融機関のトップも呼ばれる。
──深夜からアジアの市場が開く週明けをデッドラインに救済策の模索が始まる。

2月25日(土)
──日本時間深夜に、日本の当局にも事態が知らされ、日本株、債券先物の未決済玉の処理などで協議。

2月26日(日)
──シンガポール金融通貨庁から日本の大手証券4社の現地法人社長に呼び出しがかかる。
──イングランド銀行の担当者が日本やシンガポールに飛び、ベアリングズの建て玉の引取先を探すものの不調。イングランド銀行はベアリングズへのつなぎ融資や、買取先斡旋などを試みるがベアリングズの損が確定できないこともあってこれも不調。

2月27日(月)
──アジアの市場が開く数時間前にイングランド銀行はベアリングズ救済断念を発表。


ニック・リーソンがフランクフルトで逮捕されたのは3月2日だった。リーソンが出した損失はベアリングズの自己資本5億ポンドをゆうに超えていた。


こうして「女王陛下の銀行」ベアリングズは破綻したが、上でも書いたようにベアリングズを最終的に買収したのはINGというオランダの金融コングロマリット。買収候補としてスミス・バーニーなどの名前もあがったが、INGグループが6億6千万ポンドで一括買収した。INGは98年にランベール男爵家が所有するベルギーのブリュッセル・ランベール銀行買収してるし…。


「ECの本部は、ブリュッセルにあるのではなく、ランベール男爵家の所有するブリュッセル・ランベール銀行に置かれているのである」(『赤い楯』P.749)


INGグループはフォーブスによる06年の「世界優良企業番付」で11位にランクされており、12位のトヨタや13位のウォルマートよりも上位に置かれている。05年は9位。


ベアリングズを倒産させたニック・リーソンは4年ほどで刑期を終え、現在はアイルランドのサッカー・チームで財務担当マネージャーをしている(参照)。



以下にリーソンの記事を1件。

英ベアリングズ破たん招いたニック・リーソン氏、市場に復帰も
2007年3月7日(水)16時22分

3月7日 (ブルームバーグ):日本株の投資で失敗し、英最古の投資銀行ベアリングズを経営破たんに追い込んだ自称「いかさま(ローグ)トレーダー」、ニック・リーソン氏(40)は2日、アイルランドのギャルウェイでインタビューに応じ、フルタイムの仕事としてトレーディングを再開する可能性があることを明らかにした。過去数カ月間にわたり通貨の売買をしているという。

リーソン氏は「時間があるときは」売買すると述べ、アイルランドのサッカークラブ、ギャルウェイ・ユナイテッドのコマーシャル・ディレクターという現在の仕事を辞めると決断したら「スクリーンを見つめる」ことを職業にすることも考えていると語った。ただ、売買は自分だけのために行う考えも示した。

同氏は「信じられないほど多くの人が資金を運用して欲しいと依頼してくる」と述べ、「自分で決めて損失を出すのはいいが、他人のために決断した場合に損すれば、埋め合わせしなければならないという義務感を持つだろう」と語った。

ロンドン郊外で育ったリーソン氏は、ベアリングズに入社後、シンガポール在勤ヘッドトレーダーだった1995年に損失を14億ドル(約1629億円)に膨らませた。ベアリングズは破たんし、その資産は蘭INGグループに1ポンド(約224円)で売却された。ベアリングズはエリザベス女王2世を顧客とし、米国第3代大統領のトーマス・ジェフーァソンによる1803年のルイジアナ州購入にも融資した英名門銀行。

1992年から95年にかけて、リーソン氏は違法な取引と損失の隠ぺいを行った。英高等法院の2003年の資料によると、リーソン氏の損失は92年10月に360 万ポンドだったが、94年末までには総額1億6400万ポンドに拡大していた。

リーソン氏はインタビューで、今は、損しても差し支えない以上のリスクを取ることは決してないと述べ、毎日ポジション(持ち高)を整理して売買を終えていると語った。同氏は英国の規制の下、自分の口座での取引は自由に行うことができる。銀行に入社するには登録が必要だが、そうすることは夢にも思わないという。「数年前の自分は極めて規律に反した人間だった」と同氏は語った。

事件後逃亡したリーソン氏はドイツ当局に逮捕され、シンガポールの刑務所で3年半服役した。刑期は当初、6年半だったが、模範囚として刑期を短縮された。獄中手記の「ローグ・トレーダー(邦題:わたしがベアリングズ銀行をつぶした)」はその後、映画化されユアン・マクレガーさんがリーソン役を演じた。

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=07bloomberg34adqUey_fQPc0


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