バークレイズ銀行がABNアムロを買収?

 

   


バークレイズ銀行ABNアムロを買収するかもしれないという。バークレイズは、HSBCロイヤル・バンク・オブ・スコットランドに次ぐ英銀3位の大手。もしABNアムロとの合併が実現したら、それはHSBCに次ぐ英銀2位となり、時価総額HSBCシティグループに迫る巨大金融機関が誕生することになるが、まだ予備的な段階らしいから今後どうなるのか不明。


ABNアムロは05年にイタリアのアントンべネタを買収していたが、バンク・オブ・アメリカなどに買収されるかもなんて噂が何度か出ていたし、バークレイズとも2年前に合併交渉をしたことがあったらしいから、買収される脅威は常にあったということなんだろう。

06年のFT500(世界企業番付)では、HSBCが11位(1900億ドル)、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドが39位、バークレイズは67位、ABNアムロは109位にランクされていた。このFT500は時価総額に基づく番付だが、フォーブスによる「世界優良企業番付」になると、HSBCが5位、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドは14位、バークレイズは20位、ABNアムロは41位となり、銀行がかなり上位にランクされる。以下は銀行を抜き出したもの。


 FT500(06年版)

4.シティグループ
6.バンク・オブ・アメリカ
11.HSBC
18.三菱UFJ
22.JPモルガン・チェース
31.UBS
36.ウェルズ・ファーゴ
39.ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド
43.みずほフィナンシャル
49.サンタンデール銀行
59.三井住友
63.BNPパリバ
67.バークレイズ
70.ウニクレジット
78.BBVA
84.クレディ・スイス
90.ソシエテ・ジェネラル
92.HBOS
101.ドイツ銀行
105.クレディ・アグリコル
109.ABNアムロ


 世界優良企業番付(フォーブス06年版)

1.シティグループ
3.バンク・オブ・アメリカ
5.HSBC・グループ
9.JPモルガン・チェース
10.UBS
14.ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド
17.BNPパリバ
19.サンタンデール銀行
20.バークレイズ
24.HBOS
26.ウェルズ・ファーゴ
30.クレディ・スイス
41.ABNアムロ
43.ソシエテ・ジェネラル・グループ
44.みずほフィナンシャルグループ
46.クレディ・アグリコル
62.三菱UFJフィナンシャル・グループ



ABNアムロを買収したいと考えているのはバークレイズだけではないだろうから、たとえば、同じオランダのINGとか、スペインのBBVAとか、世界最大を確実にしたいバンク・オブ・アメリカとか、フランスのBNPパリバとか、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド、スイス勢‥‥といった銀行がABNアムロ買収戦に乗り出してくる可能性だってあるかもしれない。ABNアムロはオランダ最大の銀行なのだから、どこかとの合併をもし望んでいるとしたら、手を挙げる銀行はバークレイズだけではあるまい。


バークレイズが提示する買収額がいったいなんぼぐらいの規模なのか気になるところでもある。英文記事では600億ユーロ(800億ドル)なんて噂が出ているが、この数字は、エクソンがモービルを買収した規模(852億ドル)、トラヴェラーズがシティコープを買収した規模(720億ドル)に匹敵する超巨額である。

先日、日本たばこ(JT)が英たばこ大手ギャラハーを買収すると発表された。これは日本企業による企業買収としては過去最高額になると報じられているが、日本企業によるこの最高買収総額ですら2兆2千億円なのだから、800億ドルという規模がいかに巨額であるかが解る。バークレイズによる買収が成功した場合、時価総額18兆円規模の金融機関が誕生するらしいから、この800億ドルという数字は、ABNアムロの価値を計った場合の現実的な提示額なのであろう。05年にABNアムロがアントンべネタを1兆1千億円(82億ユーロ)で買収したとき、ABNアムロ時価総額が6兆円になると日経は書いていた(参照)。


まあ、こういった噂はこのまま消えてしまうかもしれないが、英銀3位のバークレイズがABNアムロ買収に動いているという報道を記録。なんせABNアムロにはロスチャイルドと共同で設立したABNアムロロスチャイルドという金融機関もあるしね。




ABN AMRO Rothschild


以下に記事を2件。

バークレイズ銀、ABNアムロに買収提案…英紙報道

【ロンドン=中村宏之】18日付の英日曜紙サンデータイムズは、英銀3位のバークレイズ銀行がオランダの金融大手ABNアムロに対して非公式に買収を提案したと報じた。

報道によると、提案は予備的な段階で、本格的な交渉に結びついていないが、買収が成功した場合、時価総額約800億ポンド(約18兆円)の世界有数の金融グループが誕生する。ABNを巡っては、最近、同社株の約1%を持つ英国のヘッジファンドが合併や組織再編を求めて圧力をかけており、バークレイズ銀はヘッジファンドの動きに対抗してABNに友好的買収を提案したものと見られている。バークレイズ銀とABNは2年前にも合併交渉を行ったが不成功に終わっている。

(2007年3月18日23時37分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070318i313.htm

バークレイズがABN買収を提案・英紙報道
日本経済新聞 - 2007年3月18日

【ロンドン=吉田ありさ】英銀大手のバークレイズ銀行がオランダのABNアムロ銀行に買収を提案していると、18日付の英サンデー・タイムズ紙が報じた。提案は予備的な段階だが、実現すれば欧州の国境を超える銀行再編としては最大規模となるうえ、時価総額も800億ポンドと欧州最大のHSBCに迫る巨大銀行が誕生する。英フィナンシャル・タイムズ紙(電子版)は複数の銀行が買収に関心を示していると報じた。

英銀第3位のバークレイズは海外事業を拡大しており、ABNアムロを買収すれば北米などで新たな拠点が手に入る。ABNアムロはイタリアの銀行などの買収を進めてきたが、経営陣の拡張路線を批判し部門売却を求める有力株主のヘッジファンドとの対立が激しくなっていた。

http://markets.nikkei.co.jp/special/sp013.cfm?id=d2m1800s18&date=20070318

  

ABN AMRO

ブラックストーン・グループがIPO準備

 


ブラックストーン・グループがIPOを計画中であることをブルームバーグやロイター通信が報じている。ブラックストーンのシュワルツマン会長は、05年にブラックストーンのIPOが噂になったとき、CNBC放送とのインタビューで「われわれはまったくIPOを検討していない」と言明していた。今回の情報ソースもCNBC発のようだ。



ブラックストーンを創業したのはピーター・ピーターソンスティーブ・シュワルツマンの2人。外交問題評議会(CFR)の理事長を現在つとめるピーターソンは元商務長官で、リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブCEOを務めた経歴を持つ人物。ピーターソンはブラックストーンの上級会長という地位にあるが、80を超える年齢であることからみて、上級会長というのは名誉職的な役職であろう。ブラックストーンを動かしている司令塔はシュワルツマンで、シュワルツマンもリーマン・ブラザーズ出身だ。シュワルツマンはエール大学を出ており、スカル・アンド・ボーンズのリストにはシュワルツマンの名前がある。


【1969】 Schwarzman, Stephen Allen
Managing Director, Lehman brothers Kuhn Loeb


シュワルツマンの前年にあたる1968年のメンバーがジョージ・ブッシュ現大統領であるから、同じボーンズマンとしてブラックストーン(シュワルツマン)と大統領は極めて親密な関係にあるといえるだろう。先日のフォーブスが発表した「世界長者番付」で、シュワルツマンは35億ドルの資産で249位にランクされており、これは同業であるKKRの総帥ヘンリー・クラビスの349位(26億ドル)よりも上位になる。



FORTUNE(2007.3.5)表紙の人物

"The New King of Wall Street"(ウォール街の新たな帝王)

Blackstone's Steve Schwarzman


コールバーグ・クラビス・ロバーツとブッシュ家」に書いたように、KKRのヘンリー・クラビスとブッシュ家の関係も、プレスコット・ブッシュの時代からつづく親密なもの。米ファンドとして、KKRとブラックストーン、そしてカーライル、現在この3社が事実上の3巨頭となるが、この3社はブッシュ家を通してとても近い関係にあることが解る。普段は自社の利益を求めて各社が別々に活動しているように見えるが、これらはいつでも同じ意図と意思をもって“一体化”することが可能であることを知っておく必要がある。「別々のようで同じである」と。


   


現在のCFRのボードメンバーは、「ブラックストーングループ会長」としてピーターソンが理事長を務め、副理事長にはカーラ・ヒルズとロバート・ルービンが名を連ね、デヴィッド・ロックフェラーが名誉会長、モーリス・グリーンバーグが名誉副理事長となっているのだから、シュワルツマンと同等かそれ以上に、ブラックストーンの共同創業者ピーターソンの人脈も“最強”のものである。



Peter G. Peterson


以下に転載する記事では、2月にシュワルツマンが、「IPOに対する需要を損なった」として、ヘンリー・クラビスを批判してる。このときの批判はこんかい表面化したブラックストーンのIPO計画から出た“本音”だったのかもしれない。


以下に記事を3件。

ブラックストーンCEOがKKR批判−「ファンドIPOの需要潰した」

2月27日ブルームバーグ):米投資会社ブラックストーン・グループの共同創業者スティーブン・シュワルツマン最高経営責任者(CEO)は、米投資会社のコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)の共同創業者ヘンリー・クラビス氏がプライベート・エクイティ(PE、未公開株投資)ファンドの新規株式公開(IPO)に対する需要を損なったと批判した。

KKRは昨年5月に、レバレッジド・バイアウト(LBO、買収先の資産を担保にした資金借り入れによる買収)ファンドとしては初の上場に踏み切り、50億ドルの資金を調達した。これは当初予定の約3倍。しかし株価はその後最大で16%下落し、IPO価格を上回ったことは一度もない。こうした流れを受けて、英企業買収会社のダウティ・ハンソンは10月に10億ユーロ相当のIPOを取りやめた。

シュワルツマン氏はこの日の会議で、「KKRは優れた仕事をした」と指摘した上で、「ただ他社にとっての市場を崩壊した。それがKKRの目的だった」と批判した。

さらに同氏は、他のPE企業がKKRに続く公算は小さいと指摘。その理由として、他社は十分な資金調達ができるか確信が持てないからだと説明した。ブラックストーンは、年金基金といった機関投資家など伝統的な資金源から、約200億ドルの資金を調達している。

一方、KKR投資委員会メンバーのトッド・フィッシャー氏は同じ会議で、「公開市場がわれわれに可能にしていることは、新しい投資家にアクセスできることだ」と述べた。また、「資本を多様化することはよいことだ」と語った。

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=ar_BEuCzxSys&refer=jp_home

米ブラックストーンがIPOを計画、ゴールドマンなど起用−関係者
2007年3月17日(土)10時51分

3月16日(ブルームバーグ):米買収ファンド大手、ブラックストーン・グループが新規株式公開(IPO)に向けて準備を進めていることが16日、事情に詳しい関係者の話から明らかになった。

リーマン・ブラザーズのバンカー、スティーブ・シュワルツマン氏とピーター・ピーターソン氏が1985年に立ち上げたブラックストーンは、証券大手のゴールドマン・サックス・グループと米銀最大手のシティグループとともに、IPOの作業を進めているという。米経済ニュース専門テレビ局のCNBCが 16日伝えたところでは、IPOは月内に発表され、同社の評価額は約200億ドル(約2兆3320億円)になる可能性がある。

ブラックストーンが経営権を握る企業の年間総売上高は830億ドルに上り、従業員数は37万5000人。同社はヘッジファンドや企業買収に助言を与える会社も運営している。ブラックストーンの広報担当、ジョン・フォード氏はコメントを控えた。ゴールドマンとシティもコメントしていない。

プライベートエクイティ(PE、未公開株)ファンド運営会社や買収ファンドのIPOとしては、2月の米フォートレス・インベストメント・グループのIPOに次ぐものとなる。フォートレスの公開価格は1株当たり18.50ドルで、上場初日の取引で68%高を演じた。

公開企業になれば、ブラックストーンは投資や手数料、投資収益などに関する情報開示を迫られる。同社のIPOが順調にいけば、ライバルのコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)やカーライル・グループなども追随する可能性がある。

ハーバード・ビジネス・スクールのジョシュ・ラーナー教授は「フォートレスの成功がIPO実施に駆り立てたのは確実だ」と指摘。「ただ公平に言えば、PEファンドの利益には本質的に変動があるもので、極めて難しい面もあるだろう」と語った。

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=17bloomberg32aiC1U4TvxDcY

投資ファンド大手のブラックストーン、株式公開の観測強まる
日本経済新聞 - 2007年3月17日

【ニューヨーク=松浦肇】米大手投資ファンドブラックストーン・グループが近く新規株式公開(IPO)に踏み切るとの観測が強まっている。米欧主要メディアが16日、相次いで報じた。パートナーと呼ばれる幹部が株式売却で利益を確定したうえで、新たにファンドを設立する狙いがあるとみられる。

ブラックストーンの運用資金は640億ドル(約7兆5000億円)と世界最大規模。主力の買収ファンドに加え、ヘッジファンドなど様々な投資・運用事業を手がける。

もともと買収ファンドは非公開が主流だったが、世界的なカネ余りを背景に投資ファンドが市場から直接資金を調達する例が増えている。大手ではカーライル・グループなどもIPOの観測があり、米国のM&A(企業の合併・買収)市場が一段と活発になりそうだ。(12:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070317AT2M1700A17032007.html


Wall Street's man of the moment



■ 21日からマイケル・ヘイデンCIA長官とイラクのハシミ副大統領が来日するらしい。

CIA長官、来日し外相と意見交換へ イラク副大統領とも接触

米国のヘイデン中央情報局(CIA)長官が21日から数日間の日程で来日し、麻生太郎外相と北朝鮮イラク情勢などをめぐり意見交換することが16日、分かった。

麻生外相はヘイデン長官との会談で、7月に期限切れとなるイラク復興支援特別措置法改正案の今月中の国会提出を念頭に、イラクの治安情勢について意見交換する。

政府は、ヘイデン長官の提供情報を基に、イラク特措法改正案の国会提出を最終決断する方針。

一方、ヘイデン長官と同じ21日、イラクのタリク・ハシミ副大統領(スンニ派)も来日する。4月には、イラク国内でスンニ派と対立を深めるシーア派のマリキ首相の来日も予定されており、政府としては、イラク国内主要両派の首脳から航空自衛隊の輸送活動への評価を受けるねらいがある。

政府はヘイデン長官とハシミ氏が日本国内で接触する可能性についても注目している。

(2007/03/17 02:14)

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070317/ssk070317001.htm

バイオガイアのピーター・ロスチャイルド

 


スウェーデンバイオガイアという会社で会長兼CEOを務めるピーター・ロスチャイルドとは何者だろうか。『赤い楯』『ロスチャイルドの密謀』『ロスチャイルド家』『ロスチャイルド自伝』‥‥などにはそれぞれロスチャイルド家系図が載っているが、どの系図にもピーター・ロスチャイルドなる人物は出ていない。


このバイオガイア社が日本法人「バイオガイアジャパン」を広島に設立し、そこをアジアへの販売の戦略拠点とするようで、広島県がどうやら誘致したもよう。バイオテクノロジーなんてのはどうも気味の悪いイメージがあるのだが、専門的なことはわからん。興味があるのはバイオガイア社のピーター・ロスチャイルド会長兼CEOというロスチャイルドの名前をもつ人物なのだが、正体がよくわからない。この人物について何か情報を持ってるひとはいるだろうか。


Peter Rothschild
Born in 1950 M.Sc.Econ.
Managing Director, founderand major shareholder.
Board assignments in Perlan Dialog och Ledarskap AB and Diamyd Medical AB.
Holds 370,334 class A shares and 1,025,695 class B shares via Annwall & Rothschild Investments AB

http://www.biogaia.com/?id=26523



    

以下に記事を2件。

スウェーデンのバイオ企業、広島市に日本法人設立
日経新聞 - 2007年3月13日

スウェーデンのバイオ企業、バイオガイア社(ストックホルム市)は広島市に日本法人を設立し、日本市場の自社開拓に乗り出した。消化器の病気などに効果がある抗生物質を体内で分泌する乳酸菌を利用した栄養補助食品などを、3月下旬から広島県を皮切りに販売し、年内の全国発売を目指す。

バイオガイア社は同社が国際特許を持つ善玉乳酸菌「ラクトバチルス・ロイテリ菌」を食品企業に販売したり、技術供与する事業を約50カ国・地域で展開している。日本でも従来、乳業メーカーに菌を提供するなどの事業を展開していたが、消費者が健康に高い関心を持つ有望市場として、自社ブランド製品を販売することにした。

昨年8月に設立した日本法人「バイオガイアジャパン」の代表者は、本体の会長兼最高経営責任者(CEO)であるピーター・ロスチャイルド氏が兼務。ストローの内側にロイテリ菌を付着させ、これを使って様々な飲料を飲むだけで菌が摂取できる商品や、豆乳をベースとする栄養補助食品などを輸入して販売する。

http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20070312c6b1201n12.html

日本に初進出〜北欧のバイオテクノロジー企業が広島に白羽の矢

健康補助食品サプリメントなどの商品を製造しているスウェーデンのバイオテクノロジー企業が広島に進出です。

日本に初お目見えしたのはスウェーデンに本社を置くバイオガイア社です。アジアへの販売の戦略拠点として広島市中区に子会社「バイオガイアジャパン」を設立しました。東京に京都、福岡の候補地を押しのけて広島を選んだそうです。

「広島の平和という良いイメージは、同様のイメージを持つ私達の商品にとって魅力です」(バイオガイア ピーター・ロスチャイルド社長)

バイオガイア社は、国際特許をもつ乳酸菌の『ロイテリ菌』を50か国の企業に提供し、サプリメントなどの販売もしています。

外国のバイオテクノロジー企業が県内に現地法人を作ったのは初めてのことで、誘致した県では事務所の賃貸料を半年補助し、地元企業や大学を仲介するなど支援をしていく方針です。

[12日19時42分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/rcc/20070312/20070312-00000006-rcc-loc_all.html

バイオガイア




■ 先日の「世界長者番付」で187億ドルの資産をもつとして16位にランクされたロマン・アブラモヴィッチが離婚したらしい。

アブラモビッチ氏が離婚、チェルシー・オーナーの大富豪
2007年03月14日13時39分

ロシア人大富豪で、サッカーのイングランド・プレミアリーグチェルシーのオーナーでもあるロマン・アブラモビッチ氏(40)が、16年連れ添ったイリナ夫人と離婚したことが13日、分かった。

英紙タイムズ(電子版)によると、広報担当者から、2人がロシアで離婚手続きを取り、5人の子どもの親権や財産分与で合意したことが発表された。詳細は明らかにされていないが、アブラモビッチ氏は総資産が110億ポンド(約2兆4700億円)に上り、「慰謝料」は史上最高額になるとの見方もある。ただし、同氏が所有する会社は財産分与の対象とならず、チェルシーのオーナー権にも影響はないという。

アブラモビッチ氏はパリでの25歳のロシア人モデルとの密会を英大衆紙にスクープされたばかり。昨年10月にも、この女性との交際をめぐる離婚危機が報じられていた。(時事)

http://www.asahi.com/sports/update/0314/088.html

ABNアムロにダイヤ泥棒

 


ABNアムロ銀行アントワープ支店の貸金庫から2800万ドル相当のダイヤモンドが盗まれたそうだ。ダイヤモンドが盗まれたことを知ったのが1週間前の3月5日の月曜日とのこと。捜査当局は既に容疑者を特定しているらしく、その容疑者は盗まれたパスポートを使って1年くらい前から銀行の顧客になっていたようだ。似顔絵も出てて、年齢は55〜60歳くらいと発表されている。そして懸賞金200万ユーロが懸けられた。事件を知ってからなぜ1週間も経過したのか、また懸賞金を懸けたのは誰かといった情報は出てきていない。


ダイヤモンドは供給量を調整することで価格がコントロールされている。これを可能にしてきたのがデビアスによる市場の独占。本来、ダイヤモンドは供給過剰であるはずなのだが…。


「ダイヤモンドは永遠の輝き」とか「婚約指輪は給料の3ヶ月分」なんてキャッチコピーで日本人を洗脳したのがデビアスであり、これらのキャッチコピーは「人類史上もっとも成功した」といわれている。本来は価格(供給量)がコントロールされていなければ供給過剰で値下がりするはずのものが、価格がコントロール(高値維持)されているために人々は「希少価値がある」とか「財産として価値がある」とか信じ込まされているだけだろう。「人工ダイヤモンド」というものがあるように、ダイヤモンドは人工的にいくらでも作れる。希少性などデビアスが創出した錯覚にすぎないのだから、ダイヤモンドが永遠に輝いたとしてもその価値が永遠に維持されるとはかぎらない。供給過剰なら値下がりするのが本来の姿ではあるまいか。

人工ダイヤモンド(合成ダイヤモンド)

近年では合成技術の向上により、透明度等が天然物と同等な品質の良い大型の人工ダイヤモンドを合成する事が技術的には可能となっているが、天然物との識別が困難な為、安価な合成物が出回るとダイヤモンド市場を暴落させ、ダイヤモンドの資産価値を無くしてしまう危惧がある。このため、ダイヤモンド・シンジケートのデ・ビアスと合成技術を持つ企業とが協定を結び、合成するダイヤモンドには不純物を入れて着色し宝石としての価値を下げている。

そんなダイヤモンドを世界でもっとも取扱うのがアントワープ。ベルギー政府もこの産業を優遇措置することで支えている。記事によると、今回泥棒に盗まれたのはABNアムロアントワープ支店。ABNアムロにとっては銀行としての信用に大きく係わる問題であろう。



以下に似顔絵と記事を。

Reuters - Mon Mar 12, 3:23 PM ET



A handout photofit made by Belgian police shows a man suspected of diamonds robbery in Antwerp March 12, 2006. Around $28 million dollars worth of diamonds have been stolen in a robbery from ABN Amro bank in Antwerp, known as Europe's diamond capital, a public prosecutor said on Monday. REUTERS/Handout/Belgium's Federal Police (BELGIUM)

http://news.yahoo.com/photo/070312/ids_photos_wl/r1954294170.jpg

ベルギーのダイヤ泥棒に懸賞金−蘭ABN支店から33億円相当を盗む
2007年3月13日(火)08時40分

3月12日(ブルームバーグ):蘭ABNアムロ・ホールディングのアントワープ支店で今月5日、同支店の金庫から2800万ドル(約33億円)相当のダイヤモンドが盗まれる事件が起きた。ベルギー警察当局は犯人とみられる中年の男性の行方を追っている。当局は銀行内部に犯行を手助けした人物がいたかどうかを調べている。

アントワープ市検察当局によると、容疑者の逮捕につながる情報提供者に 200万ユーロ(約2億3500万円)の懸賞金が懸けられた。懸賞金の提供者は明らかではない。容疑者には米国なまりがあり、数年前にイスラエルで盗まれたアルゼンチンのパスポートを使用していたという。

検察当局は12日の発表資料で、「カットされたダイヤとカットされてないダイヤを合わせて12万カラットに上る大量のダイヤが奪われた」とし、「総額は2800万ドル相当に上るとみられる」と説明した。

今回の事件は、ベルギーのダイヤモンド業界の中心地であるアントワープで発生したダイヤ盗難事件としては過去2番目の規模。4年前にはアントワープ・ダイヤモンド・センターの123の保管室から約1億ユーロ相当のダイヤが強奪されている。

ABNアムロの広報担当者はブルームバーグ・ニュースの取材に対し、盗難事件に関する検察当局の発表を確認したものの、それ以上のコメントは避けた。業界団体アントワープ・ワールド・ダイヤモンド・センターの広報担当者によると、盗難に遭ったダイヤは、アントワープに拠点を置くダイヤ取引会社8社が預けていたものだという。

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=13bloomberg34a5Uq8rOmCDhU

デビアス
ダイヤモンド産業
ダイヤモンドの起源
アントワープとHRD
デビアス



■ フォーチュン誌が「世界で最も称賛される企業」を発表した。以下に上位50社を。日本からは5社がトップ50入り。


World's Most Admired Companies 2007

1 General Electric
2 Toyota Motor
3 Procter & Gamble
4 Johnson & Johnson
5 Apple
6 Berkshire Hathaway
7 FedEx
8 Microsoft
9 BMW
10 PepsiCo
11 IBM
12 Target
13 Wal-Mart Stores
14 United Parcel Service
15 Costco Wholesale
16 Walt Disney
17 Singapore Airlines
18 Exxon Mobil
19 Boeing
20 Nokia
21 Citigroup
22 Bank of America
23 Honda Motor
24 Coca-Cola
25 Caterpillar
25 Nestle
27 Dell
28 Toyota Industries
29 Intel
30 Tesco
31 DuPont
32 Cisco Systems
32 Walgreen
34 Samsung Electronics
34 Anheuser-Busch
36 BP
37 Best Buy
37 Siemens
39 Home Depot
40 L'Oreal
41 Sony
42 Motorola
43 Hewlett-Packard
44 Northwestern Mutual
45 Lowe's
46 Canon
47 Deere
48 HSBC Holdings
48 Xerox
50 Dow Chemical

トヨタが前年に続き2位 米誌の「称賛される企業」

【ニューヨーク12日共同】米経済誌フォーチュンは12日までに、「世界で最も称賛される企業」の番付(2007年版)を発表し、トヨタ自動車が前年に続き、2位となった。海外展開や環境への取り組みが評価された。同誌発表の「米国で称賛される企業」では3位だったが、「米国以外での評価がさらに高かった」(同誌担当者)としている。

トップは電機・金融大手ゼネラル・エレクトリック(GE)、3位は家庭用品大手のプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)で、上位3社の順位は変わらず。

日本勢はホンダが23位、トヨタグループの豊田自動織機が28位、ソニーが41位など上位50社に5社が入り、米国の35社に次いで2番目に多かった。

調査はアナリストや大手企業の役員らに、企業の財務や人材、製品・サービスの質などを評価してもらい、ランク付けした。

(2007年03月13日 08時57分)

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007031301000087.html

World's Most Admired Companies 2007
America's Most Admired Companies 2007

【2007年版】世界長者番付

 


■ フォーブス誌が恒例の世界長者番付を発表した。1位は今回もビル・ゲイツで、推定資産は560億ドル。ゲイツの1位はこれで13年連続。1ドル=117円で計算すると、560億ドルは6兆5520億円になる。2位はウォーレン・バフェットで、資産は520億ドル。バフェットの資産も日本円で6兆円を超えた。3位はカルロス・スリム・ヘルで、資産は490億ドル。4位はイケアの創業者イングヴァル・カンプラードで、資産は330億ドル。5位はラクシュミ・ミタルで320億ドルとなっている。日本人トップは孫正義の129位(58億ドル)となっている。


The World's Billionaires


06年はゲイツが500億ドル、バフェットが420億ドルで、その差が80億ドルだったのだが、今回は両者の差が40億ドルに縮まったようだ。05年の両者の差は25億ドル。

今年の1位から5位までは、昨年の順位とまったく同じである。昨年よりも、ゲイツは60億ドル、バフェットは100億ドル、カルロスが190億ドル、カンプラードは50億ドル、ミタルは85億ドルと、それぞれがたったの1年でこれだけの資産を増やしている。この5人の資産だけで昨年よりも485億ドル(5兆6745億円)増えた。


ゲイツ(465億ドル ⇒ 500億ドル ⇒ 560億ドル)
バフェット(440億ドル ⇒ 420億ドル ⇒ 520億ドル)
カルロス(238億ドル ⇒ 300億ドル ⇒ 490億ドル)
カンプラード(230億ドル ⇒ 280億ドル ⇒ 330億ドル)
ミタル(250億ドル ⇒ 235億ドル ⇒ 320億ドル)


上のは、05年 ⇒ 06年 ⇒ 07年にフォーブスが発表してきた推定資産を並べたもので、今年3位だったカルロス・スリム・ヘルなんかは05年の資産が2年後には2倍以上となっていることが判る。2年前の05年はこの5人で合計1623億ドルだが、07年になると2220億ドルになり、2年の間に約600億ドル(7兆円)の増加という勢いだ。


以下、07年版フォーブス世界長者番付。カッコ内の数字は06年 ⇒ 07年。5位までは昨年と同じ名前。6位のアデルソンは昨年14位。7位のアルノーは昨年も7位。8位のオルテガは昨年23位からのトップテン入り。9位の李嘉誠は昨年10位。10位のデヴィッド・トムソンは昨年ケネス・トムソン一家として9位だったが、ケネスが6月に亡くなったため、その父の遺産を受け継いだようだ。10位までで資産を減らした者はいない。20位までだと、19位のポール・アレンだけが資産を減らした。


1.ビル・ゲイツ(500億ドル ⇒ 560億ドル)
2.ウォーレン・バフェット(420億ドル ⇒ 520億ドル)
3.カルロス・スリム・ヘル(300億ドル ⇒ 490億ドル)
4.イングヴァル・カンプラード(280億ドル ⇒ 330億ドル)
5.ラクシュミ・ミタル(235億ドル ⇒ 320億ドル)
6.シェルドン・アデルソン(161億ドル ⇒ 265億ドル)
7.ベルナール・アルノー(215億ドル ⇒ 260億ドル)
8.アマンシオ・オルテガ(148億ドル ⇒ 240億ドル)
9.李嘉誠(188億ドル ⇒ 230億ドル)
10.デヴィッド・トムソン一家(196億ドル ⇒ 220億ドル)


1.ビル・ゲイツ(560億ドル)


2.ウォーレン・バフェット(520億ドル)


3.カルロス・スリム・ヘル(490億ドル)


4.イングヴァル・カンプラード(330億ドル)


5.ラクシュミ・ミタル(320億ドル)


6.シェルドン・アデルソン(265億ドル)


7.ベルナール・アルノー(260億ドル)


8.アマンシオ・オルテガ(240億ドル)


9.李嘉誠(230億ドル)


10.デヴィッド・トムソン(220億ドル)


11.ラリー・エリソン(215億ドル)

昨年は15位(160億ドル)


12.リリアン・バッテンコート(207億ドル)

昨年は15位(160億ドル)


13.アルワリード・ビン・タラール王子(203億ドル)

昨年は8位(200億ドル)


14.ムケシュ・アンバニ(201億ドル)インド

昨年は56位(85億ドル)


15.カール・アルブレヒト(200億ドル)

昨年は13位(170億ドル)


16.ロマン・アブラモヴィッチ(187億ドル)

昨年は11位(182億ドル)


17.ステファン・パーソン(184億ドル)

昨年は32位(123億ドル)


18.アニル・アンバニ(182億ドル)

14位のムケシュの弟


19.ポール・アレン(180億ドル)

昨年は6位(220億ドル)


20.テオ・アルブレヒト(175億ドル)

昨年22位(152億ドル)15位カールの弟


23.ジム・ウォルトン(168億ドル)
24.ロブソン・ウォルトン(167億ドル)
24.クリスティ・ウォルトン一家(167億ドル)
26.セルゲイ・ブリン(166億ドル)グーグル
26.ラリー・ペイジ(166億ドル)グーグル
26.アリス・ウォルトン(166億ドル)
29.ヘレン・ウォルトン(164億ドル)
30.マイケル・デル(158億ドル)
31.スティーブン・バルマー(150億ドル)
31.カーク・カーコリアン(150億ドル)
35.スレイマン・ケリモフ(144億ドル)ロシア
36.ウラジミル・リシン(143億ドル)
38.ウラジミル・ポターニン(135億ドル)昨年89位(64億ドル)
38.ミハイル・プロトコフ(135億ドル)
40.オレグ・デリパスカ(133億ドル)『フィナンス』だと212億ドル
45.ミハイル・フリードマン(126億ドル)
48.ヴァギト・アレクペロフ(124億ドル)ルクオイル


51.シルビオベルルスコーニ(118億ドル)


73.ルパート・マードック(90億ドル)


80.ジョージ・ソロス(85億ドル)昨年71位(71億ドル)


104.スタンレー・ホー(70億ドル)カジノ王


129.孫正義(58億ドル=6786億円)日本人トップ

昨年は221位で31億ドル、05年は122位で43億ドル


132.スティーブン・ジョブズ(57億ドル)
132.森章ファミリー(57億ドル=6669億円)昨年136位45億ドル
142.マイケル・ブルームバーグ(55億ドル)
158.ニッキー・オッペンハイマー(50億ドル)
167.佐治信忠(47億ドル=5499億円)昨年133位47億ドル
177.ジョルジョ・アルマーニ(45億ドル)
188.毒島邦雄一族(44億ドル=5148億円)昨年109位52億ドル
194.武井ファミリー(43億ドル=5031億円)昨年107位54億ドル
226.山内博(39億ドル=4563億円)昨年410位19億ドル
230.糸山英太郎(38億ドル)昨年154位42億ドル
237.柳井正(37億ドル)昨年154位42億ドル
243.ジョージ・ルーカス(36億ドル)
279.エドガー・ブロンフマン(31億ドル)


287.モーリス・グリーンバーグ(30億ドル)

American International Group


287.スティーブン・スピルバーグ(30億ドル)
314.三木谷浩史(29億ドル)昨年224位30億ドル
314.ドナルド・トランプ(29億ドル)
323.滝崎武光(28億ドル)昨年224位30億ドル
336.ライリー・ベクテル(27億ドル)
336.ステファン・ベクテル(27億ドル)
349.伊藤雅俊(26億ドル)昨年185位36億ドル
349.ヘンリー・クラビス(26億ドル)コールバーグ・クラビス・ロバーツ
349.ジョージ・ロバーツ(26億ドル)
349.デヴィッド・ロックフェラー(26億ドル)
390.チャールズ・ブロンフマン(24億ドル)
407.福田吉孝(23億ドル)昨年214位32億ドル
432.エミリオ・ボティン(22億ドル)
432.岡田和生ファミリー(22億ドル)昨年645位12億ドル
458.ウィリアム・ランドルフ・ハースト三世(21億ドル)
458.岩崎福三(21億ドル)昨年292位25億ドル


20億ドル以下は略。ロスチャイルドの名前は今回もなし。
日本人は24名。順位は以下。


129.Masayoshi Son 5.8 Japan
132.Akira Mori & family 5.7 Japan
167.Nobutada Saji & family 4.7 Japan
188.Kunio Busujima & family 4.4 Japan
194.Hiroko Takei & family 4.3 Japan
226.Hiroshi Yamauchi 3.9 Japan
230.Eitaro Itoyama 3.8 Japan
237.Tadashi Yanai & family 3.7 Japan
314.Hiroshi Mikitani 2.9 Japan
323.Takemitsu Takizaki 2.8 Japan
349.Masatoshi Ito 2.6 Japan
407.Yoshitaka Fukuda 2.3 Japan
432.Kazuo Okada & family 2.2 Japan
458.Fukuzo Iwasaki 2.1 Japan
618.Yasumitsu Shigeta 1.6 Japan
618.Tetsuro Funai 1.6 Japan
664.Hajime Satomi 1.5 Japan
717.Ryoichi Jinnai 1.4 Japan
717.Shigenobu Nagamori 1.4 Japan
754.Soichiro Fukutake 1.3 Japan
799.Toichi Takenaka 1.2 Japan
840.Tadahiro Yoshida & family 1.1 Japan
840.Han Chang-Woo & family 1.1 Japan
891.Kenshin Oshima 1.0 Japan


以下に記事を。

ゲイツ氏、13年連続世界一=日本人トップは孫氏−米誌長者番付
3月9日9時0分配信 時事通信

【ニューヨーク8日時事】米経済誌フォーブスが8日発表した2007年版の世界長者番付によると、米マイクロソフトビル・ゲイツ会長が資産総額560億ドル(約6兆5520億円)と13年連続で世界一の資産家となった。日本人トップはソフトバンク孫正義社長の58億ドル(約6786億円)。ただ、全体での順位は129位と日本人の上位100傑入りはならなかった。
米著名投資家のウォーレン・バフェット氏が520億ドル(約6兆840億円)で7年連続の2位。3位はメキシコ携帯電話最大手アメリカ・モービルなどを経営する事業家カルロス・スリム氏の490億ドル(約5兆7330億円)で2年連続。
日本人2位は森トラストの森章社長および森家の57億ドル(約6669億円)で全体では132位。日本人3位はサントリーの佐治信忠社長および佐治家で47億ドル(約5499億円)。全体では167位だった。同誌は「日本はもはやアジアおける長者スポットではない」と指摘。特記事項として1987年に世界トップだった堤義明氏(旧コクドの元会長)が「世界長者番付から滑り落ちた」ことを挙げた。

最終更新:3月9日9時0分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070309-00000036-jij-int

インドが長者数で日本抜く 07年米経済誌番付

経済誌フォーブスが8日発表した世界の長者番付(2007年版)によると、ランク入りした富豪の数で日本(24人)がインド(36人)に抜かれ、1987年の番付開始以来、アジアでのトップを初めて譲り渡した。

堅調な世界経済を背景に、資産10億ドル(約1170億円)以上の富豪は、前年より153人増の946人となり、総資産額は9000億ドル増の3兆5000億ドルに達した。

ソフトウエア最大手マイクロソフトビル・ゲイツ会長が、資産総額560億ドルで13年連続で首位だった。国別でも米国が415人と最も多かった。

日本人トップは、ソフトバンク孫正義社長の58億ドルで全体の129位。87年に全体の首位だった旧コクドの堤義明・元会長が番付から姿を消すなどで、日本は前年から3人減った。

これに対しインドは高い経済成長に支えられ、前年の23人から急増。世界鉄鋼首位アルセロール・ミタルを率いるラクシュミ・ミタル氏が前年に続き5位に入った。中国は20人、香港は21人だった。(共同)

(2007/03/09 09:38)

http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070309/wld070309000.htm

世界長者番付、ビル・ゲイツ氏が13年連続トップ
日本人ではソフトバンク孫正義氏が最高位で、Appleスティーブ・ジョブズ氏を上回った。
2007年03月09日 09時12分 更新


米Forbes誌は3月8日、恒例の世界長者番付を発表した。1位を獲得したのはまたもMicrosoft会長のビル・ゲイツ氏だ。

ゲイツ氏が世界一の富豪の座に輝くのはこれで13年連続となる。推定資産は560億ドル。2位は著名な投資家のウォーレン・バフェット氏(推定資産520億ドル)。

IT関連では11位にOracle会長のラリー・エリソン氏(推定資産215億ドル)、19位にMicrosoft創設者の1人ポール・アレン氏(同180億ドル)がランクインしている。アレン氏は現在FlipStart Labsという会社を経営しており、先日「FlipStart」という初の製品を発表したところだ(3月8日の記事参照)。

またGoogle創設者のサーゲイ・ブリン氏とラリー・ペイジ氏はそれぞれ26位に(推定資産166億ドル)、Dell創設者マイケル・デル氏は30位(同158億ドル)、Microsoftスティーブ・バルマーCEOは31位(同150億ドル)に入っている。

人気SNSMySpace保有するメディア王ルパート・マードック氏は73位、Googleエリック・シュミットCEOは116位だった。

日本人ではソフトバンク孫正義氏が前回の221位から129位へと順位を上げ、Appleスティーブ・ジョブズCEOの130位、Amazon.com創設者ジェフ・ベーゾス氏の188位を上回った。このほか任天堂山内溥前社長が226位、楽天三木谷浩史会長が314位となった。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/09/news022.html

世界長者番付、MSのビル・ゲイツ氏が13年連続トップ
2007.03.09
Web posted at: 13:17 JST

  • CNN/REUTERS

ニューヨーク──米経済誌フォーブズは8日、2007年版の世界長者番付を発表、マイクロソフトビル・ゲイツ会長が、資産560億ドル(約6兆5500億円)で、13年連続で1位だった。

続いて、米投資家のウォーレン・バフェット氏が520億ドルで2位。3位はメキシコの通信事業家カルロス・スリム氏で490億ドルで、上位3人は前年と変化がなかった。

フォーブズ誌によると、資産10億ドル以上の億万長者は、前年の793人から19%増加し、世界で946人。総資産額は前年比35%増の3兆5000億ドルに達した。

億万長者の平均年齢は、前年から2歳若くなり、60歳だった。

新たに億万長者入りした顔ぶれとしては、米コーヒー・チェーン大手スターバックス創業者のハワード・シュルツ氏(11億ドル、840位)や、元ウォルト・ディズニー会長のマイケル・アイズナー氏(10億ドル、891位)など。

インターネット検索大手グーグルを創設したラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏の2人が166億ドルで、ともに26位に上昇。

一方で、コンピューター大手デルのマイケル・デル氏は158億ドルで、12位から30位に後退した。

国別に見ると、億万長者数が最も多いのは米国で415人。続いて、欧州の242人、ロシアの53人、ドイツの51人となっている。

アジア地区では、インドが最も多い36人で、日本の24人を抜いた。日本人としては、ソフトバンク孫正義会長が、58億ドルで129位でトップ。1987年に世界一だったコクド前会長の堤義明氏は圏外に脱落した。

http://www.cnn.co.jp/business/CNN200703090004.html

フォーブス誌の富豪番付、日本はインドに抜かれアジア2位に転落(3)
2007年3月9日(金)10時41分

3月8日(ブルームバーグ):米誌フォーブスの年次調査で、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が、13年連続で世界一の金持ちであることが分かった。同氏の資産は560億ドル(約6兆5600億円)に増えた。2位はバークシャー・ハサウェイウォーレン・バフェット氏。

ゲイツ氏の資産は前年比12%増えた。バフェット氏の資産は24%増え520億ドルとなった。

3−5位はいずれも米国人以外で、3位は昨年に続きメキシコ携帯電話サービス最大手アメリカ・モビルなどを持つカルロス・スリム氏(資産490億ドル)、4位も変わらず、家具小売り最大手イケアの創業者、スウェーデンイングバル・カンプラード氏(同330億ドル)、5位は鉄鋼王のインドのラクシュミ・ミタル氏(同 320億ドル)。

フォーブスが調査した世界の富豪946人の合計資産は3兆5000億ドルと、昨年の2兆6000億ドルから35%増えた。株式相場の好調や、ロシアなどでの富の拡大が寄与した。

6−10位にはカジノ経営会社、ラスベガス・サンズのシェルドン・アデルソン最高経営責任者(CEO)やフランスの資産家で高級ブランド品最大手、仏LVMHモエ・ヘネシールイ・ヴィトン会長のベルナール・アルノー氏、香港の資産家、李嘉誠氏が顔をそろえた。新たにトップテン入りしたのはスペイン随一の富豪でファッションブランド「ザラ」の創業者アマンシオ・オルテガ氏で8位に入った。10位は調査会社トムソン・ファイナンシャルなどを持つトムソン一族のデービッド・トムソン氏の一家が、死亡したケネス・トムソン氏の一家に代わって入った。

今年新たに億万長者に仲間入りしたのは178人だった。昨年もリストに入った富豪の3分の2の資産は増えていた。

上位のなかで資産が減ったのはゲイツ氏とともにマイクロソフトを創業したポール・アレン氏などで、同氏は資産が40億ドル減少しトップテンから姿を消した。パソコンメーカー、デルの創業者マイケル・デル氏の資産も13億ドル減で、順位は 30位と昨年の12位から大きく後退した。

億万長者の国籍は53カ国と幅広かったが、米国が415人で約44%を占めた。ロシアは19人が新たにリスト入りし、躍進した。20年間アジア一の地位を維持した日本は、インドに抜かれた。インドの億万長者数は36人で合計資産は1910億ドル。日本は24人で640億ドルだった。

世界の億万長者946人のなかで、相続したのではなく自ら財を築いたのは約60%、そのうち10人が女性だった。また、億万長者のなかで女性は83人で、2006年の78 人から増えた。

自ら財を築いた女性10人には、九龍紙業を夫とともに創業した中国一の女性富豪、張茵氏や人気ファンタジー小説ハリー・ポッター」シリーズの作者、J・K・ローリング氏、ネット競売最大手の米eベイのメグ・ホイットマンCEOなどがいる。

日本人1位はソフトバンク孫正義社長の129位。楽天三木谷浩史社長も 314位に入っている。

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=09bloomberg34abXIJTpEqvc0

【2006年版】世界の長者番付
【2005年版】世界の長者番付
【2006年版】米長者番付
日本の富豪トップ40@フォーブス
最も豊かな支配者10人@フォーブス



ビル・ゲイツの自宅は9700万ドル



スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体

 


■ 以下に『スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体』から抜粋したものを。


スパイがくれた一通の手紙がある。筆者の手元に届いたのは、今から20年ほど前、20世紀末のことだった。差出人はアンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコ。第二次大戦中に暗躍した、ユダヤ系スペイン人の元ナチスのスパイである。手紙は広島に落とされた原爆の知られざる“顛末”を簡略に述べたものだ。曰く、戦時中に開発されたナチスの原爆がアメリカの手に渡り、それが広島に投下された。この“奇談”を、べラスコが私に明かしたのは、1982年ごろのことだった。もしもそれが真実なら、ナチス原爆の行方をどうやって、どこまで知ったのか。その詳細は追って手紙で知らせてくれる約束だった。ところが、その2年後に届いた手紙は、筆者の期待を見ごとに裏切っていた。


「原爆の秘密については、これまであなたに話した以上の内容はない」


手紙は、そんな文面で始まり、しかも内容は、前回、口頭で語った話をなぞっただけの「まとめ文」に終わっていた。原爆の話はもう喋らないというわけだ。それはべラスコの過去を考えてみればもっともなことだった。筆者は、あれこれ問うのはやめた。べラスコは知り得た秘密を語らないことで生き長らえてきた。つまり、沈黙が安全保障、いうなれば生命維持装置だったからである。問い質すのをやめた理由はもうひとつ。それは彼の持論にあった。


「スパイが入手した情報に、客観的事実を求めるのはナンセンスだ。自分の発言は自分自身が保証したのだから、他人から保証を求められる筋合いのものではない。世間でまことしやかに使われている、客観的事実などという言葉ほど当てにならぬものはない」


この言葉を一理あると認めたのである。その反面、筆者の腹の中はやり場のないモヤモヤで満杯になってしまった。それにしても1982年のあの日、べラスコが唐突に切りだしておきながら、今度は手のひらを返すように黙りこくってしまったあのナチス原爆の話は、いったいなんだったのか。疑問がつまった腹を撫でつづけているうちに、とうとう「そのとき」を迎えてしまう。べラスコの死である。世紀をまたいだ2002年、べラスコは97歳で大往生した。


「大切な秘密は墓場まで持っていく」


べラスコは口癖どおり、この一件の詳細を黙して世を去った。原爆そのものがべラスコの自尊心を傷つけかねない因果な“産物”だったから、これ以上は語りたくなかったのだ。筆者はそう勘繰ることにした。

ナチス原爆の“秘話”は荒唐無稽にも見える。と同時に、人類の歩みにつきまとった“業”を正面きって明かす話にも思える。だが、核は今なお、人々の自由を縛る恐怖の道具でありつづけており、そこに“賞味期限”はない。

べラスコが鬼籍に入って3年目がすぎた2005年、筆者は腹の中に抱えたこの原爆話を吐きだして、彼の墓前に手向けることにした。ただ彼が墓の中へと持ち去った「大切な秘密」を、古い手紙から類推するためには、スパイもので知られる、作家ファーゴ(ラディスラス)の次の言葉を乗り越えねばなるまい。


「秘密諜報機関は歴史を変えることはあっても、歴史学者に影響を与えることは皆無だ。学者の作る歴史書や指導者が語る回顧録の中にスパイの顔は見えず、その存在はとるに足らぬもの、忌み嫌われるものとして無視されてしまう。諜報員らの恩恵に浴した政治家や外交官ならびに将軍たちが過去を語るとき、最後までかつて世話になったスパイを隠してしまうのである」


とはいえ、その反対にスパイが金や自尊心のために守秘義務を放棄したり、私怨から「真実」をねじ曲げてしまう場合がないとも限らない。高度な秘密などと称して、歴史をミスリードする“陰謀”もありえるからだ。


これが、1982年にべラスコから届いた「まとめ文」である。


あなたの参考になる原爆情報は、私がすでに述べ、書き記したことにつけ加えるものはわずかだ。

①ドイツの新型爆弾は、ペーネミュンデの工場で完成した。爆弾をどこでどう使うのか、爆弾の製造にかかわった連中に使途は明かされなかった。彼らの中にはイタリア人専門家もいた。彼らは後に、その爆弾が広島で使われたことを知った。
②爆弾は1943年4月21日、チェコスロバキアボヘミア地方にある原生林(セルバ)で、実験に成功した。実験の最高責任者はハベルムル氏。彼は当時のドイツで、最も革新的兵器の開発研究者で構成されたグループのリーダーだった。
③ペーネミュンデ市の工場で完成した新型爆弾2個は、その後ベルギーのリエハに移送された。そこから爆撃機に搭載して、ロンドンとリバプールの両市にそれぞれ投下する予定だった。だが投下しなかった。なぜなら、フューラー(ヒトラー総統)が、「死体はもうこれ以上は不要だ」と厳命したからだといわれた。
④ベルギーでロンメル(将軍)の動向を逐一把握していたアプヴェール(ドイツ国防軍諜報部)の工作員から、2個の新型爆弾が1944年11月にロンメル将軍の手で、アイゼンハワー将軍に渡されたとする情報が入った。ロンメルの裏切り行為は、SS情報部のワルター・シュレンベルグ指揮下の秘密諜報員(エージェントVIC13)も裏づけている。ロンメル将軍はSSの手で処理された。敵に渡った2個の新型爆弾は、その数か月後にアメリカ軍の手で広島・長崎に投下された。
⑤戦後間もなく、ドイツの新型爆弾が連合軍に密かに渡された経緯を知る複数のドイツ人らが、ハベルムル氏やベルギーで敵側に原爆を渡した旧ドイツ軍人らを追跡調査した。だが、追跡者たちの意図と行動は、CIAの手で完全に断たれた。ハベルムル氏はソビエト軍に拉致され、ブレスラのミテ工場に留置された。彼はその後、モスクワに送られて消息不明になっている。

アンヘル・アルカッサル・デ・べラスコ 1984年1月29日


手紙には、別の価値があった。ひとつは、1982年にべラスコが漏らした話と、その内容はピタリ一致していたことだ。この対話を筆者は録音テープに残していた。テープの内容と手紙の概要は寸分も違っていない。記憶の精度にも優るもうひとつの価値は、原爆定説に裏があると思わせたことだ。何事にも表裏はある。べラスコは、あっけらかんと原爆定説の、いわば裏の部分を指摘している。その価値は小さくない。

いわゆる一般常識なるものが、実は、だれかに根気よく丁寧に、しかも意図的に育まれた常識だとすればなおさらだ。歴史の舞台裏で生きた男が、やれ常識を疑え、認識を見直せ、などとわめいてくれているのである。常識が秘話を疑えば、秘話もまた常識を疑わせるというわけだ。もしかして世間の常識人は、とんでもない常識を背負わされて、それに気づかずに生きているのかもしれない。そう考えれば、べラスコが唱えた“念仏”には意味がある。だが、常識や定説の壁は厚い。


これから記すのは、1982年のとある日の午後、スペインはマドリード旧市街にあるマヨール広場のカフェテラスでべラスコと交わした、ナチス原爆に関する対話のすべてである。


Q「広島に落とされた原爆は、本当にナチス製なのか。アメリカ軍がナチス製の原爆を転用した、ということか」
A「そういうことだ。実際のところ、アメリカの原爆は未完成だったのだ。それで、ドイツ軍の原爆を使って日本に投下したのだ」


Q「ドイツの原爆をアメリカに渡したのか」
A「そのとおりだ」


Q「ドイツ原爆の情報を、いつ、どこで、どうやって知ったのか」
A「1936年、リスボンに滞在中のウィンザー公夫妻をドイツに誘拐する作戦があった。その作戦会議の合間に、ドイツ国防軍情報部長官カナリス(ウィルヘルム)とSS情報将校のシュレンベルグから聞いた。彼らは原爆とはいわなかったが、なんでもドイツは想像を絶する新型兵器を手にしたという。私はその情報を、ドイツ軍情報部アプヴェールの諜報部員やイギリス諜報部員らも知っているかと尋ねたが、シュレンベルグもカナリスも答えなかった。そういえば、マーヘンという物理学者がいた。彼はヒトラーの友人で、新型兵器とその製造に精通していた男だった。私は新型兵器が製造されているらしいことを、マーヘンの言動から感じていた。カナリス長官とシュレンベルグが、私に明かした新型兵器の一件を私は信じた。そのときは製造場所までは聞かなかった。当時、チャーチルは全欧破壊計画とノルウェーの重水炉施設の粉砕命令を下していた。その情報をキャッチした私は、それを直ちにベルリンに報告したが、なんの反応もなかった。ドイツ国防軍情報部のアプヴェールにもその情報を渡したが、そちらからもなんの返事もなかった。1940年、日本はすでに対米戦に突入していた。日本はナチスが新型兵器を所有したことについては知らなかっただろう。私が日本のためのスパイ役を引き受けたころのことだったから、新型兵器の情報は日本に伝えた。当時はすでに、英米共同で原爆開発に着手していた。実験はイギリスで繰り返されていたが、使える原爆にはならなかったのだ」


Q「ドイツがその新兵器を製造したのはいつごろからか」
A「1940年代の初めごろからだ。その新兵器はまだ不完全だったが、驚異的な破壊力の爆弾らしいと聞いた。私の周辺の諜報員らは、その新兵器が爆弾なのかどうかすら知らなかった。爆弾の実験はチェコスロバキアで実施したと聞いた」


Q「チェコでの実験詳細は?」
A「知らない。その事件を知っている人間は、世界中でほんの数名しかいないだろう。数名というのは、実験に直接携わった人間のことだが」


Q「では、新型爆弾が原爆だったと知ったのはいつごろなのか」
A「そいつがとてつもない威力のある新兵器で、それを使えば戦争を終わらせるのも可能だということだった。1943年、私はアメリカに潜入したが、実はそのときアメリカの原爆開発の様子を知り、初めてあのドイツ製新兵器が原子爆弾だったと確信できた。私は普段は、マドリードとドイツの間を往復していた。私が渡米するときは、部下に暗号文を手交するか、直接会話を必要とするときに限られていた。これは話しておいたほうがいいと思うのだが、1941年から43年の間に、私がアメリカに入国した回数は3回、正式入国が2回で、残りの1回はメキシコのティファナからテキサスに密入国した」


Q「1943年までにナチス原爆が完成したことを、イギリスは知っていたか」
A「ノー。イギリスはドイツが原爆を開発中だとは知っていた。ノルウェーの重水炉施設で、原爆製造のための重水を貯蔵していることも知っていた。だからチャーチルは、特殊部隊をノルウェーに潜入させて、重水貯蔵所を破壊しようとしたのだ。だが、原爆が完成したことまでは知らなかっただろう」


Q「ドイツ原爆の完成と実験成功を、いつごろ知ったのか」
A「覚えていない。時期は忘れたが、その数が2個だということは知っていた。2個のほかにも原爆があったにせよ、それらはソ連が持ち帰ってしまったのだろう。ドイツ軍は2個をリエハ(ベルギー)に運んだ。それをロンメル将軍に手渡した事実は後で知った」


Q「2個の爆弾が原子爆弾だと完全に知ったのはいつか」
A「1945年だ。1944年ごろには、もはやドイツ軍は崩壊同然だった。ヒトラー政権はすでに力を失っていた。ヒトラーの周辺では、1944年に戦争終了させる計画が謀られていた。その年に私がベルリンに行ったとき、どうして2個の原爆をイギリスに投下しなかったのか、私はドイツ軍上層部に噛みついたのを覚えている」


Q「もう一度聞く。2個の新型爆弾の完成情報はあなたの耳にどう届いたのか」
A「いつ完成したのかは正確には知らない。しかし完成爆弾をベルギーに運んだこと、数回の実験で多数の死者が出たこと、その2個の新型爆弾が敵軍のアイゼンハワー将軍に渡されたことは聞いた」


Q「新型爆弾つまり原爆の製造場所はどこか?」
A「ペーネミュンデだ」


Q「工場の規模は?」
A「大規模だった。そこでは、V1・V2ロケットなどが製造され、ロンドン攻撃などに使われた。チェコ以外の諸工場で製造された新兵器類の肝心な部分は、そのペーネミュンデ工場で組み立て、完成されていた。ドイツ軍は“UFO”もここで製造していた。当時、すでに時速3000キロの推力をもつ別の飛行体もそこで製造されていた」


Q「ペーネミュンデの工場に入ったことは」
A「ない。場所は知っていたが」


Q「なぜ2個だったのか」
A「2個のほかにも新型爆弾は製造されていた。爆弾の改良と完成を急ぐ計画があった。完成ずみの原爆2個の存在は、その計画の全貌を知ったとき、納得できた」


Q「2個の原爆の完成は軍事機密だったのか」
A「当然だ。製造責任者らは新兵器の完成を、ヒトラーに口頭で伝えていた。書面で報告すれば秘密は漏れる」


Q「イギリス情報部はドイツの新型爆弾の完成情報を入手していたのか」
A「それは先ほど答えた。ありえない。われわれはイギリス側に新型爆弾へのアプローチなど絶対にさせなかった。彼らには知り得ないことだ。とはいえ、秘密工作活動の内容を一般人に説明したところで、誰も信じまいが」


Q「ペーネミュンデで製造に携わった人物たちの名前は」
A「ハベルムルの名前しか覚えていない。たとえ知ったところで、それが本名だとはいえまい。製造関係者らは皆、それぞれ偽名を使っていたからだ。たとえば、そのうちのひとりはイタリア人だとわかっていたが、それ以上の手がかりはなかった。工場周辺の町には、OSSやKGBが潜り込んでいた。だが、技術者らは情報を漏らさなかったのだ」


Q「ドイツ原爆がたどった経緯は?」
A「完成後はベルリンからの命令を待った。そして2個の爆弾をベルギーに移した。ベルギーの戦場のどこかでアメリカ軍に引き渡され、本国へ運ばれていった」


Q「ベルギーのどの地域のどんな場所に保管されていたのか?」
A「保管場所は知らない。いずれにせよ、ベルギーは小さな国だ」


Q「だれがどんなルートでベルギーに移送したのか?」
A「ドイツ空軍機を使った」


Q「だれの命令でベルギーに移したのか?」
A「ゲーリング元帥だ」


Q「どんな目的で移したのか?」
A「イギリス投下には、ドイツからよりもベルギーのほうが近い。つまり、射程距離が短い場所を選んだのだろう」


Q「ベルギーへの移転配置をヒトラーは知っていたか」
A「もちろんだ。ベルギーに移したのは1944年4月だと思う」


Q「ベルギーへの爆弾移動はロンメルが担当したのか」
A「いや違う。ペーネミュンデで完成した爆弾は、ゲーリングの指示でベルギーに運ばれた。ベルギーで原爆を受け取って保管したのがロンメルだ」


Q「実験現場をチェコスロバキアに定めた理由は?」
A「それは知らない。ただ、チェコにはペーネミュンデと同様の工場があった。そこで部品なりを補う必要があって、それでチェコが選ばれたのかもしれない」


Q「爆弾の大きさなどを知っていたか」
A「知らない。ただ広島・長崎に投下された原爆は、ドイツで完成した爆弾をそのまま使ったものだとは思えない。アメリカの科学者たちがドイツ製原爆の一部を改良したうえで、広島と長崎に投下した可能性もある」


Q「なぜ、ロンメルは米軍に渡したのか。彼の裏切りはいつごろから考えられていたのか」
A「ロンメルの動機やその実行タイミングについては、何も知らなかった。もし事前にその企てが耳に入っていれば、ロンメルに実行を断念させることができただろう」


Q「ロンメルが敵に原爆を渡した謀反をいつ、どうやって知ったのか」
A「実行されてしばらく後のことだ。ドイツのガルミス・パルテン・キルヘンで仕事中に、仲間のオベルべイルがその一件を伝えてきた。ロンメルが爆弾を渡した数日後に、連合軍の総攻撃が始まったのだ」


Q「アメリカ軍は原爆をどんな方法で本国に移送したのか」
A「当時、欧州戦線でのアメリカ軍の動きを知るのは不可能に近かった。われわれの暗号電波はキャッチされ、身動きもできず、仕事にならなかった。おそらく、ベルギーで受け取った原爆を、アメリカ軍は船舶ではなく空輸で本国に送ったのだろう」


Q「ドイツ製爆弾2個が、間違いなくアメリカ軍に渡されたと断言できるか」
A「断言する。しかし、アメリカ側はこの事実を無視するか、または否定するだろう。なぜなら、この2個の原爆がアメリカ国内に運び込まれるまで、アメリカ製原爆は未完成だったからだ。ナチス原爆が実在したというビッグニュースを知ったら、きっと日本人は驚くことだろう。この事実を世界が知れば、トルーマン大統領が捏造した原爆神話は根底から崩壊するだろう」


Q「ロンメルの処刑はヒトラーの命令か」
A「ヒトラーが自ら命令を下したかどうかは知らない。SSのシュレンベルグの命令だろう。ヒトラーロンメルが処刑された後に、ロンメルの裏切りの事実を知らされたかもしれない」


Q「ドイツは結局、原爆を使えなかったが?」
A「当時のドイツ空軍はイギリス空軍に制空権を奪われていた」


Q「原爆とロンメルとの関係は?」
A「ロンメルは当時、ベルギー方面担当の司令官だった。彼は保管中の原爆を米軍に渡した。その秘密を知るドイツ軍人はいなかった。裏切ったロンメルは処刑された」


Q「ロンメルが裏切ったことを知ったときのヒトラーの反応は?」
A「知らない。知りたくもない。いえることはアメリカ側に原爆が渡ったために、イギリスはアメリカに依存せざるを得なくなったということだ。アメリカは原爆で格別の利益を得たが、イギリスはまるで商売にならなかった。この戦争における真の意味の敗戦国は、イギリスだ。帝国の権益を失ったではないか」


Q「ロンメルチャーチル首相にではなくて、なぜアイゼンハワー将軍に渡したのか」
A「わからない。ただ、チャーチルは反イギリス的精神の持ち主だったと思う。チャーチルノルウェーの重水炉の破壊命令を出した際、同時に欧州全都市の破壊もつけ加えている。チャーチルは欧州人の無差別殺戮を命令した男だ。そんな男にではなくて、アメリカに渡すほうがまだましだ。ロンメルはそう考えたのだと私は思いたい」


Q「アメリカに渡った爆弾はその後どこへ?」
A「ロスアラモス。アメリカ西海岸にある原爆研究所だ」


Q「これまでの原爆情報は日本の諜報機関TOのエージェントが確認したのか?」
A「そうだ。この点は白か黒かの単純な答えですむことだ。連絡メモは使わなかった」


Q「では、原爆がロスアラモスに届いた事実をどうやって確認したのか?」
A「まずは暗号無線だ。入手した情報を、通常はロスアラモスの近郊からメキシコのティファナに向けて、即座に発信した。その電波を大西洋上に待機させた船上で中継し、さらにスペインに転送する。これが私の組織の通信回路だった」


Q「原爆情報を伝えた電波は、スペインでキャッチして確認したのか?」
A「いや、私は1944年6月以降、ベルリンにいた。ロスアラモス発信の一報を受信した、ティファナの部下から連絡があったのだ。それをマドリードからベルリンの私に無線連絡してきた。急遽スペインに帰国して、あらためてティファナに無線で情報内容を確認した」


Q「無線はどう伝えてきたか」
A「詳細は忘れた。アメリカに爆弾が運ばれてきたことを知らせてきたのだ。私は即座にその内容をベルリンと日本側に報告した」


Q「アメリカに運ばれてきた爆弾が、ドイツ製原爆だとエージェントは事前に知ったうえで、それで打電してきたのか」
A「そうだ。フライデーと呼ぶ有能な修道士が、その情報を入手して送電してきたのだ」


Q「その修道士は西海岸に配置したエージェントか」
A「秘密情報員が修道士に化けていたのではない。本物の修道士をエージェントに使っていたのだ」


Q「どうやってその修道士は、その爆弾がドイツ製で、ドイツから送られてきたものと判断できたのか」
A「教会の懺悔室だ。われわれはすでにドイツ原爆の完成を知っていた。しかるに、その一件はわれわれの仕事の最重要事項として扱っていたからだ。牧師は懺悔室で科学者や軍人から情報を取った」


Q「では、原爆がベルギーから大西洋を渡った時点の情報もキャッチしていたのか」
A「いや、アメリカに爆弾が届いた時点の情報だ」


Q「原爆は最初にアメリカのいったいどこに届いたのか」
A「ニューヨークだ」


Q「アメリカ内にドイツ原爆が到着した情報を、日本側に伝えたときの日本の反応は」
A「私はまずベルリンに知らせた。当時は戦況が深刻な状態だった。それでベルリン(の日本大使館)はひと呼吸おいてから、東京に知らせたのだろう」


Q「ロスアラモスに2個のドイツ製原子爆弾が届いたとする情報は、確定情報として日本側に発信したのか?」
A「いや、仮定、つまり推測としてだ」


Q「では、ロスアラモスの部下から大西洋を越えて、ベルリンのあなたのもとに無線で届いたその情報も、仮定推測の情報だったのか?」
A「現物を確認していないから、そのとおりだ。むろん、東京にはわれわれのほか、たとえば、イタリアやオーストラリアやその他の国々からも、情報が届いていたことだろう。しかし、その時点で、日本は何をする術もない状態だったのだ。反応も何もなかった」


Q「ドイツは完璧な原爆実験をしたのだろうか」
A「さっきの話を思いだせ。だれがベルギーから原爆を運んだにせよ、当事者は、自分たちが運んでいる荷物の中身が何なのかも知らずにいたのだ。結局、広島・長崎に原爆が投下されて、初めてその荷物が原爆だったと知ったのである。製造に携わった者たちも、それは同じだ。新兵器(原爆)の精度や実験成果は、別の人間のみが知ることだからだ」


Q「ナチス原爆の完成を知る存命中の学者、軍人ほかの人物をあなたは知っているか」
A「ジャーナリストはいないだろう。開発製造に関与した学者(従事科学者)は大勢生存しているはずだ。中にはアメリカやイタリアでも生きている。しかし彼らは、自分たちがどんな爆弾を完成させたのか、当時はあまり知らなかっただろう。結果的に広島、長崎の原爆投下で初めて知ったのだと思う。当時、アメリカの原爆開発科学者は、自分たちの原爆開発の進捗速度が、ドイツよりも遥かに遅れていることは知っていただろう」


Q「反ヒトラーの抵抗運動組織(レジスタンス)は、ナチス原爆の存在を知っていたか」
A「知らなかっただろう。実際は原爆の知識を完璧に備えていた科学者は、ドイツに4人ほどしかいなかっただろう。しかもその4人は、自分の核物理の研究がどこに向かっているのか、それさえ知らされていなかっただろう。まして、レジスタンスなどには、原爆のことなど何もわからなかったはずだ。それにアメリカ側の科学者たちでさえ、こちら側(ドイツ)の情報(原爆開発)を詳しく知らなかったように、ドイツ側もアメリカの原爆開発事情を完全に知っていたわけではなかったのだ」


Q「開発に従事した4人の学者、ならびに技術者の名前は」
A「ハベルムル氏以外の名前を私は知らない。彼を含めた他の科学者は多分、本名も戸籍もすべて抹消され、別人として存在して研究開発に従事していたはずだ。しかし、もしも本人の身分が知れるとすれば、それは終戦時点でハベルムル氏を連れ去ったソ連が明かすだろう。ドイツ原爆の開発に貢献した技術者たちは、ロシア軍に捕えられたからだ」


Q「ヒトラーは原爆の詳細を知っていたのか。ドイツ軍人らはどうか」
A「ヒトラーは、原爆の詳細については知らなかっただろう。1944年に反ヒトラーの動きが始まったことについて話しておこう。連合軍の総攻撃が始まり、われわれはヒトラーを隠さねばならぬ立場になった。そこで、軍人たちとの共同作戦が始まった。われわれ秘密諜報員は、軍人との会話を原則的には許されていなかった。たとえ話しても、天気のことや女の話など、たわいもない話をするだけだ。ヒトラーが危機的な立場に追い込まれていたそのとき、私はミュンヘンで軍上層部と突っ込んだ話をもちだして、それまでの掟を破ったことがあった。私は彼らに、ドイツは決定的な爆弾をもっている、戦は勝ち目がある、そう告げて彼らの士気を鼓舞した覚えがある。だが、彼らはなんの反応も示さなかった。敗戦の気運に気落ちしていたこともあろうが、彼らはドイツが新型爆弾を所有していることなど知らなかったのだ」


Q「あなたと反ヒトラー勢力との接触はあったのか」
A「いや、直接にはなかった。最初のころ、私は反ヒトラーの動きをよく知らなかった。もし知っていれば、わたしはその反勢力の動きを押えにかかったと思う。だが、軍部内の反ヒトラー気運は、1941年末にはすでに始まっていたのだ。それはドイツ軍がソ連軍を攻撃した時点で、もはや勝てる軍事力をドイツ軍が備えてはいなかったのに、攻撃を始めてしまった。その見当違いぶりを批判する勢力が、反ヒトラーの気運を高めたのだと思う」


Q「ところで、あなたの友人のペパーミントとは何者なのか?」
A「ある女性の愛称だ。彼女はアメリカのスパイで、またの名をロマノネス・コンデ伯爵夫人、本名ラテボーロ妃のことだ。ドイツ軍部内には反ヒトラー・反ナチズムの貴族勢力がもともとあった。ところで、このナチズムという言葉はヘブライ語だ。ユダヤ人が嫌みを込めて使う言葉だが、起源はドイツ語ではない。民主主義の気運をドイツ国内に作りだしたのは、ユダヤ人だ。ラテボーロ妃は、イギリス側ともコンタクトしていた女性だった。彼女は敵対する連合軍と枢軸軍の双方の情報組織に属していた女スパイだ。そして、ドイツのアプヴェールにも日本の憲兵隊にも情報を伝えていた人物だ。私は、彼女から入手した反ヒトラー・反ナチズムの動静を日本側に伝えた」


Q「その反ナチズム・反ヒトラーの気運が、連合国側に原爆を渡す背景になったのか」
A「そのとおりだ」


Q「2個の原爆以外のドイツ原爆がソ連に渡ったというのは本当か」
A「完成した爆弾をソ連が持っていったのではない。製造のノウハウ(人的資源)を持ち去ったのだ。終戦間際になって、ペネミュンデの工場からは完成した原爆ではなく製造者らを、自国の原爆開発に活用するために連れ去ったのだ」


Q「ソ連が持ち去った時期はいつか」
A「戦史年譜を見よ。盗んだのではなくて、ソ連軍がドイツを占領したからだ」


Q「ベルギーでナチス原爆がアメリカ側に引き渡されるときは、だれかが手伝ったのか」
A「知らない。なぜなら、最高機関は自前の組織でやるものだからだ」


Q「ベルギーでアイゼンハワーは原爆と知って受け取ったのか?」
A「アイゼンハワーであれパットンであれ、彼らの受け取ったものが原爆だと知っていたわけではあるまい。新型の驚異的な兵器だろう程度の認識はあっただろうが」


Q「ナチス原爆はなぜ、西海岸のロスアラモスに届けられたのか?」
A「アメリカの原爆開発研究所がそこにあったからだろう」


Q「運搬を目撃した一般人はいないか?」
A「重要機密品だからだれも知るまい」


Q「アメリカ政府や情報機関の関係者以外、民間人で原爆移転を知る人は」
A「知る人間はいるだろう。だが、私はその人物がだれだかは知らない。もちろん、ルーズベルトの周辺には多少存在しただろうが、そういた人物たちを私は知らない」


Q「チェコ、ベルギーのその場所を地図で指してほしいのだが」
A「自分に対してでさえ、疑いをもつのが私の職業だ。私にその職場を案内しろというのか。考えておこう」


Q「ナチス原爆の開発と移動の決定的情報を、あなたと交換した相手はだれか」
A「ドイツ国防軍情報部長官カナリスや科学研究者マイヤーらドイツ人だ。1943年4月か5月、マドリードのアプヴェールの隠れ家で、SS情報部長シュレンベルグも同席した場で、新型爆弾の話を彼らは私に話した。だが戦後の今となっては、どうやら彼らはその話をわざと私に囁いたような気もする。というのは、彼らはボム、つまり新型爆弾とはいったがアトミック(原爆)とはいわなかった。私はヌークリア(核)とアトミック・ボム(原爆)についての知識を、クラウスから後で教わった。カナリスとシュレンベルグらが私に漏らした新型爆弾とは、やはり原爆のことだったのだ。重大機密だというよりも、私がこの新型爆弾の存在を日本に伝えるのを見込んで、あえて私に原子爆弾といわずに新型爆弾だと語ったのだろう。通信傍受はお手のものの彼らだから。アメリカへの移動確認は、私の組織によるものだ。原爆がアメリカに移送されたときはもう、その新型爆弾が通常の爆弾であれ原爆であれ、何もかもがその時点ですでに終わっていたのだ」


Q「マドリードに置いたアプヴェールの隠れ家は、今でもあるのか?」
A「残っている」


Q「カナリスは、よくスペインに来ていたのか?」
A「そうだ。カナリスとはよく会った。カナリスはフランコ総統と会うために、戦闘機を自分で操縦して、よく来ていた」


Q「チェコで実験開発された新型兵器(1943年4月の実験)の成り行きは、絶えず監視していたのか?」
A「必要なときにする会話ですむことだ」


Q「チェコでの実験データを、戦後、アメリカは押収しているのか」
A「いや、それはないだろう」


Q「戦後に明らかにされたマンハッタン計画の記録では、広島投下用の爆弾は1945年7月16日、アメリカ西海岸から船積みされてテニアン島に運ばれたことになっている。同日、ロスアラモスでも実験がされたことになっている。今では常識とされているこれらの事柄をどう考えるか?」
A「私の対米情報網(TO機関)は、1945年初夏にはもう情報収集活動はしていなかった。事実上の解散は1944年7月7日。だから1945年7月16日の、テニアン島への原爆輸送もロスアラモス実験もTOは確認していない」


Q「ナチス原爆を証明する人物は、だれかほかにいるか」
A「ノーだ」


Q「資料・記録・メモ何でもいい。アメリカ軍があの日(8月6日)に、広島に原爆投下するのは不可能だった、と証明できる手がかりはあるか」
A「いったい、何回問えば気がすむのだ。すべてノーなのだ。お前は私の呟きまで疑うのか。私には、私の発言を保証する証拠など不要なのだ」


Q「私は自身の常識を疑わざるを得なくなるが?」
A「それはお前の勝手だ。私は世界連邦政府主義者だ。どこの民族も愛するし、疑いもする。文句はあるまい。」


ここで録音テープは切れた。

ナチス原爆の追加情報は文書でほしい。」

筆者の注文にべラスコは頷いた。

「もう喋ることはない」

そんな素気ない手紙が筆者の手元に届いたのは、その日から2年もあとのことだった。

3年前に鬼籍に入った親父べラスコの、生前の口癖を思い出した。曰く、


「国家とは、抽象概念が作りだした記号のひとつにすぎない。つかみどころのない形而上のその国家を、戦争の真犯人呼ばわりしてどうする。世間にはもっと、利口な生き物たちがいる。彼らは国家と呼ばれる架空世界を隠れ蓑に、その架空国家と国民の頭の中にある微妙な隙間を巧みに利用し、戦争を勃発させる。私益を国益だと人々に思い込ませることに長けたその生き物たちこそが、戦争の真犯人なのだ」



以上、『スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体』より抜粋。


広島原爆はナチス製だった
ベラスコの告白

ヒトラーは原爆を持っていた=ドイツ歴史家が主張

【ベルリン6日】これまでの定説とは違って、ナチス・ドイツは第2次大戦終結前に原子炉を建設し原爆を保有していたとの新説をドイツの歴史家が今月半ばに発刊する著書「ヒトラーの爆弾」で発表する。歴史家ライナー・カールシュ氏は同書で、原子炉は1944−45年には稼働し、核兵器の実験が親衛隊(SS)の監督の下にバルト海の島やドイツ中央部のテューリンゲン州で行われていたと述べている。
ヒトラーの爆弾」を出版するDVA社は6日出した出版案内の中で、ナチス・ドイツがあと少しで、世界初の実用的な核兵器の開発競争で勝てるところまできていたものの、空中から投下できるほどには開発が進んでいなかったと指摘している。カールシュ氏は、ドイツ初の原子炉がベルリン近くで稼働していた事実や、プルトニウム式の爆弾製造に関する41年以来の文書を発見したと主張している。
カールシュ氏によれば、ナチス・ドイツの原爆の破壊力は米国が広島、長崎に投下した原爆の足元にも及ばなかった。しかし、連合国のサボタージュと資金難にもかかわらず「汚い爆弾」の製造には成功し、テューリンゲン州での実験では捕虜数百人が死亡したという。〔AFP=時事〕(時事通信 2005/03/07)
http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/atomic_bomb.html

ナチスが核実験」ドイツの歴史家が新説

【ベルリン=熊倉逸男】ナチス・ドイツ核兵器開発を実用化直前まで進め、核実験も実施していた−との新説を紹介した本「ヒトラーの爆弾」が十四日、ドイツで出版され、信ぴょう性をめぐり論議を呼んでいる。

著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは一九四四年から四五年にかけベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。四五年三月三日、ドイツ東部テューリンゲンで核実験を行った。被害は半径約五百メートルにわたり、近くの強制収容所の収容者ら約五百人が犠牲になった。開発は、ヒトラーナチス指導層も承知していたという。

新たに発見された旧ソ連軍の史料や証言記録、実験場所とされる土壌から放射能が検出されたことなどを「核実験説」の根拠としている。

ドイツでは一九三〇年代から核開発が進められたが、ナチスは兵器化に熱心ではなく、ナチス核兵器保有を懸念した科学者らの訴えを聞いた米国が先んじて、原爆を開発した−というのがこれまでの定説だった。

独メディアは新史料発見を評価する一方、「核実験説」の説得力不足を指摘している。

中日新聞 - 2005年3月15日
http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20050316/mng_____kok_____001.shtml

ナチス核兵器 図面あった」 独の歴史家らが発表

【ロンドン=岡安大助】第2次大戦中にナチス・ドイツが開発した核兵器の図面を発見したと、ドイツの歴史家らが1日発表した。粗いステッチのため実際に組み立てられたか不明。実用化の段階に達していたとはいえないが、「これまで考えられていたよりナチスの研究は進んでいた」としている。
発表したのは、ベルリンに拠点を置く歴史家ライナー・カールッシュ氏ら。英科学誌「フィジックス・ワールド」6月号に掲載された論文によると、図面はドイツかオーストリアの科学者が1945年5月のドイツ降伏後、個人的に書いたとみられる文書の中から見つかった。
この文書は核開発に関するリポートだが、タイトルや執筆した日付は記載されていない。カールッシュ氏らは「水爆研究に取り組んでいたことは明らかだ」と指摘している。
同氏は今年3月、旧ソ連軍の史料などを基に著書「ヒトラーの爆弾」を出版。「ナチス・ドイツが核実験をしていた」という新説を主張し、信ぴょう性をめぐって論議を巻き起こした。これまでは、ドイツの核開発は30年代から進められたが、ナチスは兵器化に熱心でなく、米国が先んじて原爆を開発したとされている。(東京新聞 2005/06/03)

http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/atomic_bomb.html

ニック・リーソン


ニック・リーソンのことが記事になってた。リーソンの「獄中手記」は面白かったという記憶がある。なんせ“女王陛下の銀行”が破綻したその前後の様子をリーソン本人が語っているのだから、当事者の心理が描かれた「ノンフィクション」としてつまらないはずがない。映画にもなってたしね。『ベアリングズ崩壊の真実』も面白い。最終的にベアリングズを6億6千万ポンドで一括買収(1ポンドで買収し、6億6千万ポンドを資金投入)したのはオランダのINGグループ


次の写真は、左が95年11月にシンガポールに連行されたときのリーソン。右はリーソンのホームページにある最近のもので、少し似てるけどポールソンじゃない。


  


「欧州には6つの偉大な勢力がある。英国、フランス、プロシアオーストリア、ロシア、そしてベアリング・ブラザーズだ」…こういったのはルイ18世下のフランス首相だったかな。


フランシス・ベアリングが兄弟とともにベアリング商会を設立したのは1763年で、1995年にベアリングズ銀行が崩壊する230年以上も前のことであった。1777年に生まれたネイサン・ロスチャイルドがシティで頭角を現わすまではベアリング・ブラザーズがシティの支配者たる金融業者だったのだ。ベアリング商会はロンドンのシティに設立された世界初のマーチャント・バンクであり、顧客に融資と助言を提供する一方で、自らも商人として口座を利用しリスクを引受ながら、株や土地やコーヒーの売買を行なおうとするものだった。


系図フランシス・ベアリング(ベアリング商会創業者、東インド会社会長) ⇒ ヘンリー・ベアリング ⇒ エドワード・ベアリング ⇒ ヒューゴ・ベアリング ⇒ フランシス・ベアリング ⇒ ピーター・ベアリング(ベアリングズ銀行倒産時の会長)。


エドワードの兄が初代クローマー卿ことイヴリン・ベアリング。イヴリンの孫ジョージ・ベアリングは史上最年少(43歳〜)のイングランド銀行総裁。ジョージが結婚したのは「Rothermere子爵」のタイトルをもつデイリー・メールの会長ハームズワースの孫で、ここから生まれたのが現代クローマー伯爵ことイヴリン・ローランド・ベアリング(1946年生)。
ベアリング家はクローマー伯爵の他にも、ノースブルック男爵、レヴァルストーク男爵、アシュバートン男爵、ハウィック・オブ・グレンデール男爵、ベアリング准男爵という、イギリス貴族のタイトルを6つも保有する大家族だから、現在活躍しているベアリングさんが何人もいる。たとえば、ベアリングズ銀行が95年に破綻した当時にベアリングズ会長だったピーター・ベアリングはレヴァルストーク男爵家だし、BPの前会長ジョン・ベアリングはアシュバートン男爵家、保守党の政治家フランシス・トーマス・ベアリング(1954年生)はノースブルック男爵家といった顔ぶれだ。


「初代」フランシス・ベアリングの父はドイツからの移民。ロスチャイルド家もドイツから始まった。「ジキル島会議」のポール・ウォーバーグ、ゴールドマン・サックスのゴールドマン家とサックス家、クーン・ローブ商会のクーン家とローブ家およびジェイコブ・シフらもドイツからの移民である。この一族(ここにモルガンらを加えた)の“連合体”がFRBを創設したという事実は重要。


ベアリング商会は1806年に社名をベアリング・ブラザーズと変更したあと、当時のナポレオン戦争に際しフランス政府に7億フランの貸付や海上保険の引受を行なうなど、積極的に海外金融ビジネスに乗り出し成功を収めてきた。この成功と拡大が、5カ国に次ぐ第6の勢力と称されるほどのものであった。ベアリングのビジネスは欧州以外にも、アメリカ合衆国がフランスからルイジアナを買い取る際の資金を融資したり、カナダの鉄道資金への融資など、新大陸でも積極的に行なわれた。つまり国家に融資をする金融アドバイザーである巨大銀行の雄がベアリング・ブラザーズであった。

19世紀が終わるころにはベアリングズは「王室の銀行」となり、業績にたいする報奨としてそれぞれ6つの爵位を授けられ、成年になれば上院に列する権利を有する貴族であった。ベアリングズは最終的にベアリング財団に管理され、巨額のカネが「慈善事業」に回されていたという。


「女王陛下の銀行」ベアリングズは95年、“88888”のニック・リーソンによる巨額損失のせいで倒産してしまった。リーソンの抱えていた日経先物のポジションは95年1月17日に起こった阪神大震災の影響もあって膨大な損が表出しようとしており、リーソンはボーナスが支給される前日に逃亡した。リーソンは逃亡するまでの数日間、狂ったように日経平均先物を買っていた。出口の見えない倍々ゲームに嵌まり込んでいたのである。

95年2月23日、リーソンはシンガポールから逃げるためクアラルンプールへ飛び、翌2月24日リージェント・ホテルからベアリングズに辞表をファックスし、コタキナバルへと飛んだ。そして27日の月曜日、ホテルの売店のレジを通りすぎる男が持っていた新聞がリーソンの目にとまった。

「イギリスのマーチャント・バンク倒産」

それはフランシス・ベアリングが設立してから230年以上の歴史を誇る「女王陛下の銀行」ベアリングズ銀行が破産したことを報じる記事だった。

水曜日、リーソンは、ベルネイ、バンコクアブダビ経由でフランクフルトへ飛ぶ便に乗り、土曜日に到着したフランクフルトの空港でマスコミのフラッシュを浴びながら連行された。

その後、リーソンはシンガポール側係官に引き渡され、95年11月にシンガポールに戻った。12月2日、リーソンは6年半の刑を宣告され、シンガポールのタナ・メラ刑務所に服役。


95年2月24日(金)
──ピーター・ベアリング会長、自社の窮地を知る。
──休暇でフランスに到着したイングランド銀行のジョージ総裁「ベアリングが危ない」との報告に急遽帰国。
──英国の主要金融機関のトップも呼ばれる。
──深夜からアジアの市場が開く週明けをデッドラインに救済策の模索が始まる。

2月25日(土)
──日本時間深夜に、日本の当局にも事態が知らされ、日本株、債券先物の未決済玉の処理などで協議。

2月26日(日)
──シンガポール金融通貨庁から日本の大手証券4社の現地法人社長に呼び出しがかかる。
──イングランド銀行の担当者が日本やシンガポールに飛び、ベアリングズの建て玉の引取先を探すものの不調。イングランド銀行はベアリングズへのつなぎ融資や、買取先斡旋などを試みるがベアリングズの損が確定できないこともあってこれも不調。

2月27日(月)
──アジアの市場が開く数時間前にイングランド銀行はベアリングズ救済断念を発表。


ニック・リーソンがフランクフルトで逮捕されたのは3月2日だった。リーソンが出した損失はベアリングズの自己資本5億ポンドをゆうに超えていた。


こうして「女王陛下の銀行」ベアリングズは破綻したが、上でも書いたようにベアリングズを最終的に買収したのはINGというオランダの金融コングロマリット。買収候補としてスミス・バーニーなどの名前もあがったが、INGグループが6億6千万ポンドで一括買収した。INGは98年にランベール男爵家が所有するベルギーのブリュッセル・ランベール銀行買収してるし…。


「ECの本部は、ブリュッセルにあるのではなく、ランベール男爵家の所有するブリュッセル・ランベール銀行に置かれているのである」(『赤い楯』P.749)


INGグループはフォーブスによる06年の「世界優良企業番付」で11位にランクされており、12位のトヨタや13位のウォルマートよりも上位に置かれている。05年は9位。


ベアリングズを倒産させたニック・リーソンは4年ほどで刑期を終え、現在はアイルランドのサッカー・チームで財務担当マネージャーをしている(参照)。



以下にリーソンの記事を1件。

英ベアリングズ破たん招いたニック・リーソン氏、市場に復帰も
2007年3月7日(水)16時22分

3月7日 (ブルームバーグ):日本株の投資で失敗し、英最古の投資銀行ベアリングズを経営破たんに追い込んだ自称「いかさま(ローグ)トレーダー」、ニック・リーソン氏(40)は2日、アイルランドのギャルウェイでインタビューに応じ、フルタイムの仕事としてトレーディングを再開する可能性があることを明らかにした。過去数カ月間にわたり通貨の売買をしているという。

リーソン氏は「時間があるときは」売買すると述べ、アイルランドのサッカークラブ、ギャルウェイ・ユナイテッドのコマーシャル・ディレクターという現在の仕事を辞めると決断したら「スクリーンを見つめる」ことを職業にすることも考えていると語った。ただ、売買は自分だけのために行う考えも示した。

同氏は「信じられないほど多くの人が資金を運用して欲しいと依頼してくる」と述べ、「自分で決めて損失を出すのはいいが、他人のために決断した場合に損すれば、埋め合わせしなければならないという義務感を持つだろう」と語った。

ロンドン郊外で育ったリーソン氏は、ベアリングズに入社後、シンガポール在勤ヘッドトレーダーだった1995年に損失を14億ドル(約1629億円)に膨らませた。ベアリングズは破たんし、その資産は蘭INGグループに1ポンド(約224円)で売却された。ベアリングズはエリザベス女王2世を顧客とし、米国第3代大統領のトーマス・ジェフーァソンによる1803年のルイジアナ州購入にも融資した英名門銀行。

1992年から95年にかけて、リーソン氏は違法な取引と損失の隠ぺいを行った。英高等法院の2003年の資料によると、リーソン氏の損失は92年10月に360 万ポンドだったが、94年末までには総額1億6400万ポンドに拡大していた。

リーソン氏はインタビューで、今は、損しても差し支えない以上のリスクを取ることは決してないと述べ、毎日ポジション(持ち高)を整理して売買を終えていると語った。同氏は英国の規制の下、自分の口座での取引は自由に行うことができる。銀行に入社するには登録が必要だが、そうすることは夢にも思わないという。「数年前の自分は極めて規律に反した人間だった」と同氏は語った。

事件後逃亡したリーソン氏はドイツ当局に逮捕され、シンガポールの刑務所で3年半服役した。刑期は当初、6年半だったが、模範囚として刑期を短縮された。獄中手記の「ローグ・トレーダー(邦題:わたしがベアリングズ銀行をつぶした)」はその後、映画化されユアン・マクレガーさんがリーソン役を演じた。

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=07bloomberg34adqUey_fQPc0


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